ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

伊藤宣広「現代経済学の誕生 ケンブリッジ学派の系譜」

現代経済学の誕生―ケンブリッジ学派の系譜 (中公新書)

現代経済学の誕生―ケンブリッジ学派の系譜 (中公新書)

第1章 科学者と説教者−A・マーシャル

  • 部分均衡理論は、「他の事情が等しいならば」という制限を課した上で一部の市場に注目する分析であり、イギリスの経験論的思考方法に根ざす。マーシャルは、時間概念を「一時的」(供給曲線垂直)、「短期」(供給曲線右上がり)、「長期」(供給曲線水平)、「超長期」(知識、人口、資本の漸進的発展、及び需要と供給の世代間の状態変化)に分け、考察期間が短い程、価値に対する需要の影響が大きくなるとして、古典派の生産費説と(新古典派の)効用価値説との調停を図る。
  • マーシャルは、「内部経済」と「外部経済」という概念を用いて、競争的市場において収穫逓増法則がみられる理由を「外部経済」に求めた。これに対し、スラッファは、「外部経済」に対する仮定は「他の事情が等しいならば」という一商品の部分均衡分析の条件と両立しないことから、大規模生産による経済は、個々の企業の観点からは独占をもたらすような「内部」的なものではなく、その産業全体からすれば部分均衡分析の条件と矛盾するような「外部」的なものではない経済、でなければならないが、このような経済はまずみられないものであると批判。
  • マーシャルは、現金残高アプローチ M=k・PY k:平均的な個人が貨幣の形態で保有したいと望む所得の割合 Y:実質国民所得 のもとで、①人々の貨幣需要という心理的要因が作用する信用循環の過程(短期)、②数量説の比例命題が概ね妥当するような過程(長期)、を考える。①では、期待物価水準に応じkの水準が変化することや*1、貨幣賃金の硬直性を強調(Yは一定とみる)。マーシャルに拠れば、悪の元凶は確信の欠如。

第2章 光明と果実の葛藤−A・C・ピグー

  • ピグーは、経済的厚生を科学的研究の対象とし、①国民分配分の平均量が大きい程、②貧者に帰属する国民分配分の平均取得分が大きい程、③国民分配分の年々の量と貧者に帰属する年々の取得分の変動が少ない程、社会の経済的厚生は大きくなるとする(厚生経済学の3命題)。ここから、自由主義への介入の思想が導き出され、「社会的限界生産物」の価値>「私的限界生産物」の価値、となる産業には奨励金を与え、逆の場合は課税することで、(国民分配分及び)*2経済的厚生を増大させることが出来る。
  • ピグーの景気理論において鍵となるのは、事業上の予測における誤り。それを増幅させる要因として、貨幣的要因が扱われる。景気の極端な過熱が来たるべき不況の原因となり、これに対する処方箋として、例えば金融政策における公定歩合政策は「物価下落を阻止するために必要とされる際には(、その効果は)それほど明確ではない」とする。景気循環の問題において最も重視するのは、マーシャル同様、知識が演じる役割。一方、財政政策については、好況期の労働需要の減少をもって、不況期の労働需要を増加させることは可能であるとして擁護。
  • ケインズサイドの見方からすれば、ピグーの議論において雇用水準を決めるのは労働市場における需給均衡であり、実質賃金が下げることで雇用量は増える、というもの。「古典派」は価格は伸縮的であるとし、貨幣数量説から実質賃金は貨幣賃金に連動する。そこでピグーは、雇用量を増やすために貨幣賃金の切り下げを意図したとする。この見方に対してケインズは、貨幣賃金一定のまま有効需要を増やすことで、物価水準と産出量を上げ、実質賃金を切り下げることを意図する(ケインズピグー論争)。

第3章 進歩と安定の不調和−D・H・ロバートソン

  • ロバートソンは、徹底した実物分析をとり、景気変動貨幣経済から独立に考察可能であることを強調。過剰投資をもたらす要因として重視されるのが「投資の懐妊期間」。情報の不完全性から、生産が適切な水準に落ち着くのは例外的な偶然であるとする。また、これを増幅させるのは、投資単位の大きさと、資本ストックの物質的構成を費用無しに変形することが出来ないという投資単位の扱いづらさ。金融政策については、効力に非対称性があることから懐疑的であるとし、財政政策についても、手放しでは支持しない。
  • 強制貯蓄命題の概略は、まず、資本財の限界生産力が増大し、既存の利子率で望まれる投資を支えるだけの自発的貯蓄が不足。銀行は追加的投資を(消費財産業ではなく)資本財産業に対してファイナンスするため、資本財産業の賃金基金は増大し、消費財需要は増加する。ただし、消費財供給は一定であるため価格が高騰し、それ以前よりも少ない消費しかできなくなるため、いくつかの産業では貯蓄を強制される。
  • ケインズ流動性選好説では、利子率を決めるのは一時点における流動性(貨幣)の需要と供給(ストック概念を含む)。一方、ロバートソンの貸付資金説では、貸付資金の需要と供給、すなわち貯蓄と投資(貸付資金のフローに関する動学理論)。ケインズの理論では、強制貯蓄概念は存在し得ない。Y(t)=C(t-1)+I(t-1)とすると、S(t)-I(t)=[Y(t)-C(t)]-I(t)=[C(t-1)-C(t)]+[I(t)-I(t-1)]=Y(t-1)-Y(t) となる。ケインズにおいて所得が低下するのは、有効需要の低下の結果であり、ロバートソンの場合は、保蔵とラッキング(貯蓄と投資の不均衡)の結果である。

第4章 貨幣と実物−R・G・ホートレー

  • ホートレーは、景気変動に対する政策手段として、金融政策に全幅の信頼を寄せ、公共事業は信用創造を伴わない限り雇用改善には役立たないとする。この背景には、LM曲線が垂直との想定があり、公共事業は(クラウディング・アウトを経ずに)ダイレクトに民間需要を縮小させる。ホートレーの理論では、「商人」という経済主体が重要な役割を担い、利子率の低下が在庫に係る費用を引き下げることで、生産者に対する注文を増やす(金融政策の非対称性という考え方とは対照的)。
  • ホートレーの固定価格数量調整モデルによれば、需要の増加はまず販売量の変化に現れ、生産者の生産余力が限度を超え始める場合に始めて物価が高騰する。価格の硬直性は、その結果である。これは、ニュー・ケインジアンのメニュー・コスト論が価格の硬直性を数量調整の原因とするのとは対照的な考え方。利子率の上昇が雇用減や物価の下落を引き起こす因果連鎖を「デフレーションの悪循環」と呼び、そこにおいても、「商人」がキャスティングボードを握っている。

第5章 伝道者から反逆者へ−J・M・ケインズ

コメント ケインズを含むケンブリッジ学派に属する経済学者の考え方が簡潔に要約されており、これを的確に把握したい場合には便利な本。ただし、本書には、マーシャルに関する記述について竹森俊平「世界デフレは三度来る」の記述に勝るものがあまりなく、マーシャルが取り組んだ「現実」への掘り下げが不十分、との批判があることに留意。

*1:E[dp]↑⇒k↓

*2:Pending.