批判点を見つけるのは比較的容易。90年代不況に伴う「アンダークラスの創出」「就職氷河期」の問題をその前段であまりにも安易に構造改革路線、特にそこに実名で取り上げられている竹中平蔵氏のそれと結びつけ、その景気循環的な側面、特にマクロ経済政策の意義についてはほぼ無視である。
この手の議論で主眼が置かれる人口減少社会の問題については、現時点における失業の存在との関係づけが重要である。私見では、先ずはマクロ経済政策による総需要喚起を行い、完全雇用が達成された後、労働力供給制約を乗り越えるために必要な各種ミクロ経済政策を実施する、という経路付けが必要である。この観点からみると、本稿のような議論を正当化するためには、現在の雇用情勢は完全雇用であることを前提とする。例えば、経済のグローバル化や高度情報化の進展に伴い、構造的失業は上昇、現時点の雇用情勢は完全雇用を達成しているというような考え方を前提とするような議論の仕方である。ただし、このような議論は、少なくとも当ブログの正統な読者の方であれば、認めるわけにはいかないでしょうw
さて、ここでいったんこのような指摘は置くこととし、他の論点である①失業の罠(モラルハザード)を避けて「フル就業」を目指す、②その際の労働は、教育訓練の機会が充実し、将来に期待の持てる「ディーセント・ワーク」であるべき、との欧州社会民主主義型の考え方については、一定の魅力を持つものである。加えて、論説の後半には「ワーク・ライフ・バランス」までがとりあげられ、長時間労働・配転の伴う正規雇用と正規雇用を保護するバッファーとしての非正規雇用という専業主婦家計モデルに適した雇用システムを共働き家計モデルに適合するよう、正規雇用の整理解雇要件を緩めるとともに、仕事は「どん詰まり」「低賃金」の仕事ではないディーセントなものであるべきである、と主張されており、さらに魅力が増すことになる。
そうした魅力は認めるものの、その前提として、マクロ経済の成長が必要である点を押さえておく必要がある。人口減少社会が経済の長期停滞に繋がるという見方はポスト・ケインジアン的な世界観であるように思うが、そうした世界観が支配する限り、その「魅力」は単なる魅力のままで終わり、現実化することはない。現在の正規雇用の増加やより直近時点における格差の縮小も、そのことを裏付けるひとつの事実となっているのではないか。
(追記)草稿の続き。ここでいう「社会の長期的な持続可能性」の様な考え方を踏まえた経済モデルというのは、12/27/06付けエントリーで取り上げたようなものになるのでしょう。