ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

小池和男「仕事の経済学(第3版)」

仕事の経済学

仕事の経済学

コメント 小池和男の議論は、日本の長期雇用システム、特にその中で、大企業ブルーカラー層に特有の技能形成システムを論じたところに重要な意義がある。年齢別の賃金プロファイルについて国際比較を行うと、ホワイトカラーについては、各国共通して40〜50歳代まで年齢が高まるごとに(勤続や経験を通じ)賃金が高くなる傾向がみられる。一方、日本に特徴的なのは大企業ブルーカラーであり、この層では、日本の賃金プロファイルはホワイトカラーと同様、年齢が高まるほど賃金が高くなる傾向を持つ。ところが、米国や英国では、20歳台までは急激な賃金の上昇があるものの、それ以降は横ばいで推移する。その様な違いが生じる理由として、小池は「知的熟練」の存在を挙げる。生産ラインで働く直接生産労働者の一見単調に見える労働には「ふだんの作業」と「ふだんと違った作業」があり、後者には、機械の知識や生産の仕組みの知識が必要となる。これは、企業特殊的熟練であり、長期勤続の下で幅広いOJTによって身に付けることができる。日本では、熟練労働者による熟練の独占が生じなかったため、内部労働市場が広くその機能を高め、結果的に、長期雇用システムが一般的な慣行・制度としての位置を占めるようになったのである。
 小池理論は、日本の雇用慣行を論じる上でのスタンダードの位置を占めている。無論、近年では、先に取り上げた高原基彰「不安型ナショナリズムの時代」にあるような長期雇用システムに対する異議申し立てが目立つようになっており、オルタナティブとして、「労働ビッグバン」のような雇用流動化の意義を主張する議論がある。一方、雇用流動化論に対抗する理論を構築しようとしても、そのような議論はおしなべて小池の「呪縛」からは逃れられないのである。ではその「呪縛」を逃れ、新たな理論が生じるような素地は何処にあるのか。私見では、下の3点を指摘することができる。

  • 日本の雇用慣行を広く日本的経営を構成する制度のサブ・システムとみなし、戦略的補完性や他の制度との制度的補完性の観点から論じる比較制度分析の立場(青木昌彦など)。ただし、この立場は、小池理論の範疇を「超える」というよりは、むしろそれと共鳴する。
  • 日本の雇用慣行を企業内の長期雇用システムを重視する立場からではなく、外部労働市場の柔軟性を重視する立場から論じる「全部雇用」論(野村正實など)。この立場は、付随するものとして「知的熟練論」批判を伴っており、明らかに小池理論を「超える」ことを意図している。ただし、問題はその「現代的意義」というところにあり、非正規雇用の増加に伴う格差論議喧しい中にあっては、この理論は消え去るよう運命づけられている様に思われる。
  • 日本的雇用慣行の起源を景気循環的な観点から説明する立場(田中秀臣「日本型サラリーマンは復活する」など)。これを「リフレ史観」と呼ぶならば、そう呼んでもよいと個人的には思う。「流動性の罠」に端を発する「リフレ派」に対し、この立場は、その時間軸の視野において、「史観」と呼ぶに相応しい。

 とは言いながら、今時、小池和男を批判するとすれば、それらはおしなべて雇用流動化論になってしまう、というが「悲しい」現実である。「悲しい」というか、無論、そのことはつまり、未だに小池理論の「現代的意義」は大きいことを意味しているのである。雇用流動化論を批判する以上、我々は皆、小池主義者なのである。*1

*1:う〜む、ちと話を大きくしすぎたかなぁ。所詮、場末のブログの戯言なので、割り引いて読んでくださいwww