ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

高度経済成長期の日本に対する批判的な視線

 以下は、吉見俊哉「万博幻想」より。

 大阪万博の華やかさと日常風景のへの浸透、会場での圧倒的な人の濁流、その華やいだ幻想に向けられる殺気立った熱気のなかで踏み潰されていった貧しき人生、そして失われる幼い命─。一九七〇年という戦後日本史の中の重要な転換点、そこに一瞬佇んだ、日本列島と日本人の表情を、この山田洋次の『家族』くらいに見事に切開してみせた作品を私は知らない。
 そこでは、戦後日本にとって「高度成長」とは何であったのかが列島を縦断するロケを通じて凝視されている。一方には九州の炭坑町と北海道の開拓村をつなぐ人生の軌跡があり、他方には国土に再配置されたコンビナートと大阪万博の風景がある。大阪万博が寿いでみせた成長の夢は、膨大な数の大衆の欲望を呑み込みながら、幾多の貧しき人生を拒絶し、脆き命を押し潰し、山野をコンクリートで固められた都市に変えてきた。

 本書では、工業化が進み、高度経済成長を続ける日本を「開発主義体制」という言葉で捉える。科学技術の進歩を象徴する万博の華やぎの裏側には、砂埃の舞う広大な工業地帯や都市の雑踏があり、その中で、かつての日本はしだいに失われていく。山田洋次の「家族」は、2人の死を〈乗り越え〉北海道(中標津)の緑の原野で新しい生活を始める家族の姿、そこに生まれる新しい生命を描き、時代とは異なる生き方をする人間の残滓、というよりもその明朗さのうちに閉じられるが、確かに、そこには高度経済成長を続ける日本への批判的な視線が感じられる。
 高度経済成長期から今の時代まで、農業人口は縮小し、工業化・サービス経済化が進み、産業構造は絶え間なく変化している。高学歴化が進み、自営業主は減少し、就業している者のほとんどは何らかの形で「雇用」されている。「雇用」化が進めば、地域的なつながりが薄弱となり、互酬的な人間関係は損なわれる。分業の進展は、おおくの余剰を生む反面、生活と生産の距離感はしだいに大きなものとなる。
 同時代的にみれば、豊かさは幸福をもたらすが、通時的には、豊かになるほど幸福になるとは限らない(イースタリン・パラドックス)。その要因を、時代に応じた産業や社会の大きな構造の変化の中にみて、論じていくことも可能(かも知れない)。

万博幻想―戦後政治の呪縛 (ちくま新書)

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