ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ジョセフ・スティグリッツ「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」

世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す

世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す

 格差問題に関する日本国内での注目度は、ここ数年で非常に高まった。「失われた10数年」以前は、日本社会は世界にもまれにみる総中流社会であり、完全失業率も先進主要国の中で比べて低かった。円高不況期には、マクロ経済全体の成長や日本の製造業の「国際競争力」が注目された。バブル期に入ると、金融や不動産の分野において高い収益を上げる会社が注目された。所得格差をみても、この時期には、完全失業率が低下する中で所得格差も広がるというこれまでにない特徴がみられる。そして、デフレと長期不況下にあった1990年代後半以降は、経済成長が鈍化し完全失業率も上昇する中で、所得格差は拡大した。このように、日本における格差問題への注目度は、マクロ経済の変動に応じそのステージを変えつつ、今にいたっているのである。
 その一方で、世界における格差に関する議論は、国内のこうした流れとは異なったものである。特に、グローバリゼーションと国家間の格差の問題は、常に注目されてきた議題であるといえよう。グローバリゼーションとは多義的な言葉であるが、一般的には、各国の国内経済に占める外国経済への依存度の高まりを意味している。また、個人の金融資産が増加し、会社の資金調達や資産運用の面での海外への依存度は高まってきた。契約者(債権者)保護の観点からさまざまな規制がおかれていた金融・保険事業の規制緩和(金融の自由化)が進み、情報・通信技術の進展が進んだことから金融取引サービスは高度化し、金融・資本市場は世界的に統合化されつつある。グローバリゼーションは、貿易や金融の面において、世界的な変化をもたらしている。
 貿易の面では、自由化が進み国内総生産(GDP)に占める輸出や輸入の構成比が高まることは、理論的にいえば、先進国に限らず開発途上国を含むあらゆる国にメリットがあり、経済成長率は高まる。これまで高コスト産業であったにも拘わらず、その産業がつくり出す商品やサービスが必需品であるがため、消費者に高いコストを負担させた上であっても生き延びることができてきた産業は、より低いコストでそれをつくり出す外国の産業によっておき換えられることになる。ただしそのかわりに、それまでその産業に投入されてきた資本や労働力は、より競争力のある別の産業にふり向けることが可能になる。あらゆる分野に競争力を持たない国であっても、各国の資本や労働力に限りがある以上、貿易上の優位性(比較優位性)を持つ何らかの基幹産業を持つことができる。例えば、開発途上国においての農業製品は、そうした意味での基幹産業となり得るものである。
 ところが現実はどうか――ジョセフ・スティグリッツは、自由貿易の進展は、開発途上国にメリットをもたらものではなかったことを次のように指摘している。
 自由貿易は、マクロ経済全体としてみれば、先進国にとって大きなメリットがある。しかし、先進国の中には、自由貿易の進展によって比較優位性を失う産業もある。自由貿易は、マクロ経済の成長は促すが、適切な措置を講じない限り、それによって国内の格差は広がることになるのである。このため、米国などの先進国は、表向きは自由貿易を推進しつつも、自国のそうした産業を保護するための手段を確保しようとする。例えば、多額の補助金によって、国内の農業を保護しようとすることなどがそれだ。貿易交渉においての先進国のこのようなふるまいが、結果的に、開発途上国(と補助金の負担を強いられる先進国の納税者)にとって不利に作用することになるのだ。
 先進国では、失業や貧困に対するセイフティ・ネットが整備されている。ところが、開発途上国では、国家予算が十分ではなく、インフラや医療などに傾斜的に配分されるため、セイフティ・ネットが整備されていない。先進国では、グローバリゼーションによって不利な立場におかれる人々を救うための仕組みがあるにも拘わらず、比較劣位産業の保護が可能になるようルールが作られる一方で、開発途上国には、グローバリゼーションによって、失業のリスクの拡大や貧困の増加がもたらされるのである。

ワシントン・コンセンサス

 1990年代、貿易の自由化が十分な成果を上げられない中で、その原因とされたのは、開発途上国の開放の度合いが足りないことや腐敗など、主として開発途上国側の問題であった。また、資本市場の自由化が論議をよんだ。そうした中から出てきた考え方が、貿易の自由化と資本市場の自由化を大きな構成要素とする「ワシントン・コンセンサス」である。
 ワシントン・コンセンサスは、(1)小さな政府の実現、(2)規制緩和、(3)迅速な自由化・民営化の重要性を強調するが、そこでは、経済成長は重視されるが、その持続可能性には注意が払われていない。資本市場の急速な自由化は、短期的・投機的なマネーの流入をよぶが、これは一時的には経済を成長させるものの、そうした資金は、持続的な成長を意図しているわけではない。実際、1997年のタイバーツの下落に端を発するアジア通貨危機によって、東アジア諸国は、その後に及ぶ大きな痛手をこうむることになるのである。
 ワシントン・コンセンサスを受け入れた諸国(ラテン・アメリカなど)では、経済のパフォーマンスは必ずしもよくなく、グローバリゼーションを適切に管理し輸出を拡大した中国は、長期に持続的な高い経済成長を誇っている。また、中国を含む東アジア諸国は、物価の安定だけでなく雇用の創出にも目を配るマクロ経済運営をとることにより、経済成長の恩恵を広く国民に行き渡らせることに成功している。さらには、貯蓄を奨励することで、国外の資本に頼ることなく自国への投資資金とすることができる。こうした流れの先に、グローバルな貯蓄の過剰と世界的な長期金利の安定という現在の世界経済の状況があるのである。
 では、なぜグローバリゼーションは理論通りのパフォーマンスを成し遂げることができず、ワシントン・コンセンサスでは、開発途上国に持続的成長を促すことにはならないのか。スティグリッツは、このことに関して、次のように述べている。

 この伝統的な考えかたでは、経済とはもっぱら効率性を追求するものであり、公正さの問題(美しさと同じく、公正さも見る人の主観に左右されやすい)は政治に託すべき事柄であるというのだ。しかし、今日、市場原理主義にたいする知識層の擁護はすっかり影をひそめた。“情報の経済学”にかんする研究で、わたしは、“見えざる手”が見えない理由を明らかにしている。情報が不完全な場合、特に情報の不均衡――特定情報をある人々が知っているのに、ほかの人々は知らないという状況(しかもこれが常態化している)――がある場合、“見えざる手”などというものは初めから存在していない。だから、政府が適切な規制と介入を行わなければ、市場における経済効率の向上は望めないのだ。

 つまり、情報の非対称性の下では、市場の需給メカニズムが適切に働くことによって公正な価格が定まるということにはならないというのである。*1そもそも、貿易のルールが先進国に有利なものとなっている以上、開発途上国自由貿易から恩恵を受ける程度は小さなものである。ワシントン・コンセンサスは、その前提に大きな間違いがある。市場を適切に働かせるためには、市場を適切に「設計」することが必要なのだ。

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 なお、スティグリッツは、「マクロ経済の均衡を異時点間の均衡としてよりも、同時点での均衡であることを強調する」*2ということだが、この点に関連すると思われる部分を同書から引用。

 前世紀の経済学における最も重要な進歩のひとつは、政府が支出をふやして税金と金利を下げれば、国々を景気後退から回復させるのに役立つというジョン・メイナード・ケインズの見識だった。IMFはこのケインズ政策を拒否し、代わりに政府の赤字に注目するケインズ以前の政策を採用した。それはケインズの推奨とはまったく逆に、景気後退の中での増税と支出削減を必要とする。それらが試されたほとんどすべてのケースで、IMFの政策は景気減速を悪化させた。結局のところ、エコノミストたちは教科書を書きかえる必要がなかったわけだ。しかし、これは経済の専門家にとっては朗報だが、途上国に住む数百万人の人々にとっては大打撃だった。

(続きは、またいつかどこかで)

*1:同書では、グローバリゼーションの進展が「市場の失敗」を生じさせている事実が各章で具体的に論じられており、情報の非対称性の問題に限らず、国際的なカルテルによって買い手の寡占化が進むことや、開発途上国の環境の悪化という外部不経済の問題など、「市場の失敗」の事例が数多く取り上げられている。

*2:ichigoBBSでのドラエモンさんの発言