ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

『atプラス』07号(大田出版)

atプラス 07

atプラス 07

 今号の特集は『ケアの社会学』。ケアとは、ここではその「与え手」と「受け手」の間の相互行為(上野千鶴子)であるとされ、従来そうであったように、「与え手」の視点からだけで捉えることのできるものではないとする。高齢化が進む中で、ひとりの人間が介護の「与え手」と「受け手」の両方を体験するような時代がきているとし、ケアを通じた連帯が如何に可能かを問うことを主題としている。ここでは、特集の最初に配された上野千鶴子と副田義也(福祉社会学者)との対談を中心にみていくことにする。

 対談は、上野『ケアの社会学』をめぐるものだが、まず同書では、介護保険制度について、ケアワークを「ペイド・ワーク」に変えたという意味において高く評価するとともに、ケアワークの賃金がなぜ安いのかを問うものだと述べられる。労働力の再生産の図式から考えると、育児は再生産労働にあたるが、介護はそれにあたるものではなく、英語圏ではそれが「インビジブル」なものであったと上野は述べている。この問題に応えるため、上野は、再生産労働を「生み、育て、見取る」までを一貫したサイクルの中で捕らえることで解決しようとし、その上で、ケアワークを「移転・廃棄・処分」の要素にあたるものだとする。
 続いて、ケアワークの賃金をめぐって、それが安いのは無尽蔵の女性労働があるからだ、としてそれをジェンダーの視点から説明する。主として女性によって担われる家事労働は「アンペイド・ワーク」であり、GDPの計測からは除外される。そして、家事・育児・介護労働の賃金が安いのは、それが女性なら誰でもできるという社会通念と、もともとタダだったからという抜きがたい観念性によるものだとしている。このように上野は、それが安い理由を、人的資本理論など経済学的な理屈に帰すことを否定している。

 しかしケアワークは、介護保険制度が導入されて以降は「ペイド・ワーク」へと移行する。ここで両者の議論からだけではみえない点を敷衍して考えると、介護に対する必要(ニーズ)は、介護保険制度があることによってようやく「需要」となり市場に現れる。もし制度がない場合、ニーズは家計ないしそれをやや広げた互酬的共同体の中で消化され、市場経済的な需要とはならない。家計などの互酬的共同体の中では、主として女性がそれを担うこととなるが、それによって本来仕事に就くことによって得たであろう賃金(機会費用)は失われる。上野は家事労働の賃金を機会費用説と代替費用説で計算したとき、前者のほうが高くなることを指摘しているが、この場合、介護保険制度がないことは、当該家計などの互酬的共同体にとって損失を生むものとなる。しかしそれは同時に、ケアワークの賃金が安いことにつながる社会通念や観念性を浮き彫りにする。
 もちろん介護保険制度は、ジェンダーの視点からのみ理屈付けられるものではない。「おひとりさま」となったときには、介護費用を市場価格によって得ることが必要になる。医療の場合もそうであるが、このようなとき、介護保険制度は所得再分配的な意味合いをもつようになる。この対談の後半では、医療の場合とは異なり、介護保険制度では要介護認定を通じて厳格な需要の管理が行われていることが指摘され、その是非をめぐる議論がなされる。

 話を再び対談のほうに戻したい。議論は超高齢化社会の是非をめぐるものとなる。超高齢化社会は、医療・介護・栄養・衛生の4つの水準が高いことによって実現されたものであるが、一方、それは老人に対する社会コストを引き上げるものでもある。副田は、ここで思考停止せざるを得ないという。議論はそこからケーススタディ的なものへと移行するが、興味深いのは、ここから「ケアは良きもの」であるという前提に対して、社会学的な視点から懐疑が持ち込まれることである。介護を受けている人間は、実は、ケアをうざったいものだと感じている(場合もある)。ケアとは、見方を変えると「監視」である。ケアを、ケアする側にとっての行為であり属性であると定義するのではなく、冒頭に述べたように、それを「相互行為」として定義することで、「ケアは良きもの」とする前提、呪縛から離れて考えることが可能になるとしている。

 なおこのあとは、ケア・ワークが成立するための地理的条件、グローバルな視点、途中で記したような要介護認定の是非についての議論がなされる。また、介護を保険制度によって行うべきか、税によって行うべきかについて、副田が税方式に賛成であるというのに対し、上野は社会保険制度のメリットとして、使途の限定された財源ができそれによって介護という巨大市場が生まれたこと、利用者に権利意識が生まれたこと、介護はタダではないという議論ができるようになったことなどをあげている。この議論も、公的な仕事とは異なる視点でケア・ワークを捉えているという意味において興味深い。ただし、本稿はいったんここで切ることにし、本特集の先を読むことにしたい。