備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

石川拓治『茶色のシマウマ、世界を変える 日本初の全寮制インターナショナル高校ISAKをつくった 小林りんの物語』

タイトルの通り、全寮制インターナショナル高校であるISAK(インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢)を資金も組織も無い「ゼロ」の状態から立ち上げ、これを日本の学校教育法第1条に該当する「高校」として開校するという前例のない事業を成し遂げた人物の物語。本書に記載はないが、ISAKは2016年にUWC(ユナイテッド・ワールド・カレッジ)の加盟校として承認されており、名称も”UWC ISAK JAPAN”と標記されている。著者の石川拓治はフリーランスライター。恐らく資金的課題のあるISAKのため、現在は代表理事となった小林りんを取り上げ、その知名度を高めるよう協力する意図のもと、本書を著したものと思われる。他にも小林に対し協力を惜しまない人々が本書には数多く登場するが、このようにいつの間にか周囲の人々を協力者に変えてしまうところが彼女の魅力であると著者は論じる。

小林の経歴は華々しい。高校2年で東京学芸大学附属高等学校を中退し、カナダのUWC ピアソン・カレッジに入学。卒業後は日本に戻り東京大学に学士入学、経済学部を卒業。その後は、モルガン・スタンレー日本法人、ネット系ベンチャー企業ラクーン取締役、国際協力銀行スタンフォード大学国際教育政策学修士課程、国連児童基金UNICEF)プログラムオフィサーをそれぞれ1〜2年従事、それぞれ惜しまれつつ次の活躍の場に移っている。2009年にUNICEFを退職後、ISAK設立準備団体の代表理事に就任、当初はほぼ無給で務め、現在もその運営に関わる。

本書の中に、学校開設に当たって、「有りふれた物語」となり得るような「官僚主義」「レッドテープ」との戦いの物語は殆ど現れない。文科省や長野県、内閣府はむしろ協力的である。しかしそれは当然のことで、「官僚主義」とは、制度に適合している限り寧ろそれを認める方向へ志向性を持つものである。ボランティアにより構成される設立団体は、試行錯誤しつつも効率的かつ的確に事務を進めたことが窺える。また、特に文科省は、制度に欠陥がある点を理解しつつ、設立に協力したのだろう。最後に長野県私学審議会の「嫌がらせ」を受けるが、議長は審議委員の意見を受け流しつつ事務的に審査を通過させる。

UWC入学のための面接

UWCは、ドイツ人教育者クルト・ハーンが1962年、イギリス・ウェールズにアトランティック・カレッジを創設したのが起こりで、本部をロンドンに置くインターナショナルスクールの集合体であり、国際バカロレア(IB)に沿った教育プログラムを実施する。日本では、UWC日本協会(日本経団連が運営)が入学する学生の選考と奨学金の支給を行う。自分がその存在を知ったのは、昨年ある塾の説明会で、UWCインド校に進学、同校中IB最高得点で卒業、その後イギリスの大学(医学部)に進学した卒塾生が話題として取り上げられた時で、説明会ではその卒塾生のことを「漸くこういう人物が出るようになった」と絶賛していた。

本書の主人公である小林りんは、学科試験合格後、3人の外国人の面接官による面接に臨むが、その際の印象について次のように話している。

「・・・英語は得意なつもりでいたけど、ぜんぜん喋れなかった。英語の語彙がないから、もうほとんど身振り手振り見たいな。高校生だし、小難しいこと言いたいじゃないですか。日本語もずいぶん交じってたと思います。まったく英語の面接になっていなかった。だけど、今、自分が英語の面接をやってても、正直な話、英語力なんてぜんぜん見てないんです。それよりも、この子がサバイブできるかどうか。母国が通じない環境で、押し潰されずに頑張り続けられるかどうかを見てます。その時の私も、英語はぜんぜんだけど、サバイバル能力だけはあると判定されたんだと思う」

ピアソン・カレッジのカリキュラムでは、2年間でIBのディプロマの資格を取ることができ、世界の主要大学への入学資格が得られる。本書にはUWCの授業の様子や、それに増して、夏にルームメイトのメキシコの自宅に宿泊した際の話など、多様な文化を経験できるUWCの環境が描かれる。こうした経験の中で、生徒達には貧困など世界の課題に対する強い意識と志向性が培われるのだろう。

ISAKのリーダーシップ教育

ISAKを開校するに当たり『リーダーを育てる学校』が教育目標とされたが、「リーダーシップ教育」の意図は当初は曖昧だったようで、サマースクールの実施など段階的に学校設立を進める中、それが次第にはっきりしてくる様子も描かれる。「リーダー」について、世界に変化をもたらすことができる人間という意味で「チェンジメーカー」とも言い換えられている。

「リーダーシップ」とは何かに関し、関係する逸話として、サマースクール参加者の選考においてネパールの少女をスカイプでインタヴューした際の話が出てくる。少女は「今までに発揮したリーダーシップについて話してください」との質問に対し、「ゴミの分別収集を始めました」という有りふれたテーマで答えた。

 彼女の住む集落は、学校まで片道一週間というネパールでもかなり奥地にあった。険しい山道を辿り、川を渡り、峠を越え、一本の細い筋に過ぎないような道なき道を一週間もかけて歩いて、ようやく寮制の学校のある街に着くのだそうだ。だから、スカイプでの面接は8日後になったのだった。
 電気も水道も来ていない彼女の村にも、街からの物資が届き始めていた。フィリピンでもそうだったように、グローバリゼーションは清涼飲料水のボトルを毛細血管に運ばれるヘモグロビンのように、世界中のどんな僻地のどんな小さな村にも送り届けるようになっていた。その毛細血管を伝わって、金属やビニール、プラスチックなどの未知の物質が村に流入した。
 大人たちはそういうゴミを、そこら中に無造作に捨てた。彼らにとってゴミとは、捨てればいつの間にか自然に溶け込んでしまうものだったから。
 けれど少女は学校で学んで、その文明の発明品は彼らの父祖が長年慣れ親しんだ自然の産物とは違うことを知っていた。森や川に無造作に捨てられたビニール袋やプラスチック製品は、これから何十年もそのままそこにあり続けるだろう。
 そういうゴミは毎年増えていった。このままでは大きな問題になる。危機感を抱いた少女は、大人たちを説得して回った。
 彼女の属している社会で、それは簡単な仕事ではなかった、新聞もテレビもないネパールの奥地の村に、少女の意見であろうとそれが正しければ共同体を動かすような風通しのいい民主主義の仕組みは存在していなかった。
 いや、考えてみれば、今の日本においても、それは簡単なことではないはずだ。中学生の女の子が、何百年も続いた共同体の生活習慣を変えようとしたのだ。不可能と言ってもいいかもしれない。
 ところが、そのネパールの少女は根気よく、時間をかけて、文明がもたらした新しいゴミの性質について大人たちを啓蒙し、問題意識を喚起し、解決策としてのゴミの分別収集を提案し、ついにはそれを村全体に受け入れさせることに成功する。
 なんという少女だろう。
 これをリーダーシップと言わずして、何をリーダーシップと呼べばいいのだろう。

本書は最後に、小林りんの半生とISAKにおけるリーダーシップ教育に想いを馳せつつ、我々の今の教育は忍耐や頑張ることに比重を置き過ぎていないか、忍耐力を発揮する前に、自分は何をすべきかという問題を、もう少し丁寧に考える必要があるのではないか、と問題提起する。読後感としては、安定よりも多様性のある環境が変化をもたらし得る新しい知識やリーダーを創り得る、ということを実感させられる。