- 作者: 福井秀夫,大竹文雄
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 2006/12
- メディア: 単行本
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序章「効率化原則と既得権保護原則」(八田達夫)
政策評価基準として、効率化原則(効率化する政策は全て遂行するという原則)と既得権保護原則(誰かの生活水準を引き下げる政策は全て拒否するという原則)とを比較した上で、以下のように論じられる。
- 政府に求められる市場補完の役割とは、所得再分配と資源配分の効率化。資源配分の効率化として政府に求められるのは、市場の失敗の是正と、政府の失敗の是正。市場の失敗は、①規模の経済(独占)、②外部経済・不経済、③公共財の提供、④情報の非対称性、の4つのケースに限られる。
- 先の4つのケースにあてはまらず、政府が市場に介入しない場合には、市場はパレート効率な資源配分を達成する(厚生経済学の基本定理)。改革によって生活水準が上がった人たちが下がった人たちに対して保障を与えても、なお改革前よりも高い生活水準を維持し得る場合、この改革は経済の資源配分をより「効率化する」という。
- 1つ1つの政策は一部の人にとり好ましくない配分となるにも拘わらず、効率化政策を首尾一貫して行えば長い目で見てパレート改善するだろうとの「見込み」をヒックスは「古典派(経済学)の教条」と呼んだ。
- 反成長主義=既得権保護原則と成長主義=効率化原則の2つの立場のどちらを取るかは価値観の問題であり、一般市民が選挙によって決めること。ある効率化原則を採用するかどうかの判断に影響を与える条件は、①他の効率改善政策が頻繁に行われているか、②セーフティネットが充実しているか、③職業選択の自由や居住地選択の自由があるか。
- 既得権保護は基本的には権利を尊重することであるから重要だとして、法律学の立場から効率化原則が批判されることがあるが、権利の概念をその根元まで遡れば、効率化原則と矛盾しない。例えば、営業の自由を保障すれば多くの人の既得権が脅かされるにも拘わらず、憲法がこれを保証している。
- 効率化原則では、試行錯誤によって生まれる非効率よりも国家統制が生み出す非効率の方が大きいことを当然の前提とし、個人の失敗を理由とする市場介入を認めない。ただし、1度失敗するとやり直しがきかない場合には正当化される(麻薬売買の禁止等)。
- 解雇法制は、①雇用主が仕事に適さない人を雇用してしまうリスクを恐れるため、雇用が縮小する、②リスク最小化のため、学歴等多少相関のある指標を基準に雇用を決めてしまう、③解雇される恐れがなく、労働意欲が湧かなくなる、といった問題を生じさせる。一方、解雇法制の目的としては、(1)既得権保護原則、(2)生存権の保証という所得再分配、(3)継続契約の法理(社会的な信頼関係の確保)、(4)資源配分の効率化、の4つが挙げられてきた。
- 解雇法制の緩和は、それが効率を改善することを根拠に実施されるべきであり、それがもたらす代償を何らかの価値観を持って評価する必要はない。
第2章「不完備契約に基づく解雇規制法理正当化の問題点」(常木淳)
企業が高い生産性を実現するためには、従業員はその企業特有の人的資本を身につける必要があるが、仮に従業員がそのような努力を払っても、給与を支払う段階において解雇されてしまう恐れがある。従業員が人的資本を身につけることは労使双方にとり有益であっても、労働者側にそのような不信感がある場合には、人的資本の蓄積が行われない。解雇法制には、企業の機会主義的行動を抑制し、従業員に長期雇用を保障することで、人的資本の蓄積と生産性の向上を実現する。
これに対し、常木氏は、解雇法制は、努力をしない従業員の雇用も保護の対象とするため、人的資本蓄積に対しての積極的な誘因が働くとは考え難いとする。
一方、上記のような企業と従業員の囚人のジレンマ・ゲームを繰り返しゲームで考えると、企業の機会主義的行動に対する従業員の処罰という「トリガー戦略」は均衡点となる。中馬宏之氏は、繰り返しゲームの非効率なものも含む無数の均衡の中から効率的な均衡を抽出する上で、解雇法制は積極的な役割を果たしたとする。江口匡太氏は、景気動向に応じた雇用や賃金に係る契約ができない状況において、解雇法制が解雇に係る高い取引費用を企業に生じさせることが、雇用に対する一種のコミットメント効果をもたらすモデルを提示する。内田貴氏は、長期契約保護が社会的な信頼関係を確保する上で重要である事を主張する。
これら3氏の論文に対し、常木氏はそれぞれ別の仕方で反論し、契約理論の応用例によって解雇規制の是非を論じる事にはあまり意味がないとまとめる。
第4章「解雇規制がもたらす社会の歪み」(久米良昭)
ここでは、借家法の解約制限からの含意を用いて、解雇規制の問題が論じられる。解雇規制の存在は、企業の従業員に対する価格交渉力を弱めるため、継続賃金は労働の限界生産性を上回る水準で高止まる可能性は高い。このため、継続賃金水準を市場賃金から大きく乖離させないような法制度が必要であるとする。
その上で、再び中馬氏の議論が取り上げられる。中馬モデルでは、人的資本蓄積に賃金上昇で報いるという法的な拘束力のない約束を守る企業の数は、解雇規制の導入で高まるとするが、そのロジックには誤りがあるとみる。加えて、企業特殊技能の重要性を否定するいくつかの論文が紹介される。
また、インサイダー・アウトサイダー・モデルにより、解雇規制による高い解雇コストの存在が労働需要を低めることを理論的に説明する。
第7章「解雇規制は雇用機会を減らし格差を拡大させる」(大竹文雄・奥平寛子)
整理解雇に係る判例の地域別傾向と就業率、失業率、労働参加率との関係が手堅く分析される。それによれば、1単位の労働者寄りの判例ショックは、就業率を0.16%低下させる。男性についてみると、その影響は、特に25歳以下の若年労働者と50歳以上の熟年労働者で大きい。
これらを踏まえ、若年層の所得格差を解消する上で必要なことは、①景気回復、②既存労働者の既得権を過度に守らないこと、③既存労働者が実質賃金の切り下げに応じやすい環境を作ること(デフレ脱却)、④若年フリーター層への積極的な教育訓練、であると指摘する。
コメント 本書を通じて概して一貫した主張を持つ論者による論文集であり、内容も興味深い。無論、個々の論点には賛同し難い点もある。
まず、批判の対象となる解雇法制であるが、最初に述べたように、論者は政府による規制としてそれを取り扱っている。しかしながら、解雇規制は、そもそも自生的に生じた長期雇用システムという雇用慣行に応じ、判例法理によって形作られたものを事後的に法律の形にしたものである。つまり、長期雇用は一種の「均衡点」として存在しており、仮に強行法規としての解雇規制が廃止されたとしても、引き続き、「慣行」としてのそれは残されるように思われる。企業行動そのものを変えたいのであれば、そのような「均衡点」をまた別の「均衡点」へと移す荒療治が必要となるが、その場合は、それに伴う副作用も生じるだろう。*1
次に、解雇法制の目的として挙げられる4つの目的のうち、経済学的観点から重要なのは、(4)資源配分の効率化であろう。これについては、解雇法制が従業員の労働意欲を引き下げるという見方が殊更に強調されるが、解雇法制のみが雇用システムの全てを形作っているわけではない。例えば、いわゆる「遅い昇進」や近年の成果主義導入の動きなどを併せて考えれば、このような見方に固執する必要もないのではないかと思われる。
最後に、労働者寄りの判例と就業率の関係については、就業率を分子と分母に分けて考えると、分子の就業者数は、県内総生産の規模とほぼ相関する一方、分母の15歳以上人口は、必ずしも県内総生産と相関するわけではない。分子の就業者数も分母の15歳以上人口も、県内総生産の規模とほぼ相関するが、15歳以上人口は就業者数よりも、県内総生産の動きに遅れて関係してくると考えられる。労働者寄りの判例が就業機会に影響するにしても、企業立地などを通じて長期的に生じるであろうし、就業率との因果関係がどのように生じるのかは不明である。なお、同様の分析を行った別の研究によれば、①地裁別勝訴率と完全失業率には相関関係が無く、②高裁別勝訴率と完全失業率は、期が進むと勝訴率の高い地域の完全失業率が高くなる傾向が強まる。いずれにせよ、この結論を出すには、さらに研究を進める必要があるだろう。(修正 02/13/07)