ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

安達誠司「脱デフレの歴史分析 「政策レジーム」転換でたどる近代日本」(その2)

脱デフレの歴史分析―「政策レジーム」転換でたどる近代日本

脱デフレの歴史分析―「政策レジーム」転換でたどる近代日本

第6章 後期松方財政はなぜ、政策レジームの転換に成功したのか

  • 明治初期の日本は、通貨システムの不備による正貨流出という制度的欠陥を抱えていた。日米修好通商条約では、金銀の交換レートは1:5と、当時の国際的な交換比率である1:15と比べて大幅に金が割安。由利公正は、太政官札による財政赤字ファイナンスを考えたが、これは流通せず、また日米修好通商条約では、外国人が紙幣の兌換を求めた場合、必ずそれに応じるべきとの条項が存在。このため、外国人による裁定取引により、ますます正貨流出が進んだ。
  • 松方財政下において、1885年に銀本位制を採用されるが、購買力平価よりも円高水準での採用であり、いわば井上財政失敗の先駆け。ただし、先進資本主義国がこぞって金本位制を採用する中、金銀比価が銀安方向での局面にあり、銀ベースでの正貨準備を拡大し、実質的な円安効果を日本経済にもたらした。松方財政下で日本が先進資本主義列強の一因へと成長できたのは、軍備拡大を梃子にした産業革命というミクロ経済的な要因も存在したが、銀本位制の選択によるマクロ経済的な要因が大きい。

第7章 レジーム間競争の「場」としての「金解禁論争」

  • マッカラム・ルールによる最適金融政策の観点から見ると、日本の場合、1921年以降、金融政策はほぼ一貫して引き締め気味に運営されていた可能性。「在外通貨」という通貨システムの制約と、寺内正毅内閣下での「勝田構想」(略)

第8章 「"疑似"小日本主義レジーム」への転換と昭和恐慌からの脱出

  • 金本位制の下では、①為替レートは固定的、②採用各国の通貨供給量は、当該国の保有する金の量に依存し、③金本位制国間の国際間取引(貿易、資本)の決済には金が用いられ、取引によって国内の金の量が変化する。国内需要が強くインフレの局面では、輸入が増加し対外支払が増えるので金が流出し、それにリンクして通貨供給量が減少するので、金利が上昇しやがて国内需要が減速する。
  • 米国は、金の流入局面において、財務省による不胎化政策で金を退蔵させ、国内の通貨供給量に影響がないようにした。このため、上記の平衡プロセスが機能せず、他国では金の流出によるデフレがもたらされたのに加え、金の移動による物価の自動調節作用が機能せず、世界中の先進資本主義国が(特に金が流出した国)は、軒並みデフレに陥る。*1

第9章 「大東亜共栄圏レジーム」への転換過程における通貨システム選択の失敗

  • 軍部主導の「円圏」路線の失敗から、「円の対ポンド相場の安定・国際協調による日中戦争早期終結」を政策目標とする「池田路線」へ、その挫折(略)

第10章 「円の足枷」と平成大停滞

コメント (前回からの続き)松方財政の成功は、決して、いわゆる「創造的破壊」によってもたらされたものではなく、井上財政の失敗は、正に、その誤りを示す実例となっている。「創造的破壊」論の誤りという事実は、日本の雇用システムを「破壊」することが新たな雇用を生み出す、といった一部にみられる動きに対する批判にも成り得るものである。一方、高橋財政におけるリフレ過程では、再配分政策に消極的な姿勢をとったため、結果的に景気回復の恩恵を受けることの出来ない層を生じさせ、このことが「大東亜共栄圏レジーム」の台頭を招くこととなる。このような事実の一つ一つを虚心坦懐に検討することは、昨今の格差論議において有益な答えを導く上でも重要なことといえるのではないか。

*1:「不整合な三角形」:独立した金融政策、為替レートの安定、資本移動の自由化、という3つの目標のうち、同時に達成することができるのは2つだけ。