ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ジョージ・エインズリー「誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか」(1)

誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか

誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか

伝統的な効用理論に対する異説

 原題は"Breakdown of Will"。人間は、長期的にみれば不合理な選択であっても、ついそれを選んでしまう場合がある。例えば、健康のために徒歩で自宅に帰ろうと心に決めていても、目の前にバスが停車していると、「またこの次からでもよい」と思い直し、つい目の前のバスに乗車してしまったりするものだ。当初定めたルールは、選択の場面が目の前に近づくにつれて弱まり、バスに乗ることの効用は、長期的な健康維持の効用を超えてしまう。
 ところで、伝統的な効用理論によれば、人間(合理的な経済人)は、その時に自分にとって最も快適な選択をする。合理的な時間選好に従えば、便益が生じるまでの時間は、指数的に割り引かれる。*1しかし、指数割引では、時間が経過しても、2つの選択肢の持つそれぞれの効用がどこかの時点で逆転するようなことは生じず、効用の順位が変わることはない。つまり、上述の例ような事実は、伝統的な効用理論では説明することができないのである。
 しかし、この事実は、人間が時間選好に関して「双曲線割引」をすると仮定すれば、説明することが可能になる。双曲線割引*2では、時間の経過とともに価値がどのように推移するかを示す効用曲線のしなりが大きいため、こうした逆転現象が起こり得るのである。
 通常、人間は「理性」に従って、各種の選択肢を実際の重要性と比例する形で重みづけるとされてきた。「理性」は、効用理論によって分析の対象になる。ところが、ある一つの選択肢が大きすぎる形でそびえ立つような「激情」や、意志の弱さ(アクラシア)は、分析の対象とはならなかった。しかし、双曲線割引を仮定することで、これらの事実も分析の対象となり得る。

ピコ経済学

 ピコ経済学では、人間は、さまざまな動機づけ同士がしのぎを削る場であると想定する。双曲線割引の状況では、長期に効用の高い選択肢が、目の前の選択肢に打ち勝つことは難しい。これを可能にするための技法として、(1)心理以外による遵守の強制、(2)関心の操作、(3)心の準備をすること、(4)個人的なルール、などによる心の操作が考えられる。体験を一連のものとしてまとめると、そのインセンティヴは、もっと遅い報酬の方に強く働く。双曲的に割り引かれた報酬のいくつかを、一つのカテゴリーとして足し合わせると、単一の双曲線割引よりも、より指数割引に近い効用曲線になる。
 しかし、短期の利益は、目先の選択を前例扱いにせずにすむ例外の言い訳を用意することで、個人的なルールを回避しようとする。この意志の「異時点間交渉モデル」では、意志とは、将来の自己コントロール力の期待値を、継続して訪れる誘惑のそれぞれに対して天秤にかける再帰的なプロセスである、ということになる。しかも、「異時点間交渉モデル」は、定型的にみられる事実に照らしてみても適合的である。
 時間選好について、果たして人間は双曲線割引をするのかどうか、実際にはまだ仮説の域である。また、動機付けの力だけに多くを期待するピコ経済学のモデルも、この分野における一つのアプローチに過ぎないといえばその通りであろう。しかし、何とも無視し難い魅力を感じるアプローチではないか。

(第8章まで読了)

*1:割引率はD=[1/(1+i)]^t となる。

*2:割引率はD=1/[1+1*t]。