ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

小島亮「ハンガリー事件と日本 一九五六年・思想史的考察」

ハンガリー事件と日本―一九五六年・思想史的考察

ハンガリー事件と日本―一九五六年・思想史的考察

 ハンガリー事件に対する既存左翼勢力(政党)の対応への反発として生じた「新左翼」(ニュー・レフト)について、思想的な側面を軸に、その成立史が論じられる。自分にとってこれまで馴染みのなかった話であるが(Wikipediaなどの情報も援用しつつ)とりあえずは読了。日本の論壇に関する話が中心だが、序章では、ハンガリー事件の背景として、スターリン批判が『つまるところ、体制内再編を目指した一種の「予防革命」であって、言葉の過激さに反比例して、本質的に保守的なもの』(8頁)だったことが指摘される。また、日本マルクス主義の中でも「講座派」は理論内に仕組まれたナショナリズムがあり、それが戦後反米ナショナリズムとともによみがえり、「正統派」の位置を占めるようになったことなど、本書では、簡潔な文章の中で重要な事実の数々が語られる。
 高度成長期の前には、共産主義革命のリアリティは、現在とは比較にならないほど我が国社会に色濃くあったのだろう。当時の既存の左翼陣営にとって、「大衆」とは主体性を持つ存在ではなく(例えば、大内兵衛ハンガリー民衆に対する侮蔑(96頁))、これを「民主」的に、そして弁証法的に乗り越える理論として「新左翼」が生まれ出たことが鮮やかに浮かび上がる。
 「新左翼」の理論は、社会の理論と経済学的な個人主義の相克が論じられがちな文脈の中で、どのように位置づけられるのだろうか。共産主義革命に対するリアリティはもはやなく、あるいは「弁証法」的な社会理論についても既にリアリティは失われているのかも知れないが、時代の節目である(ように感じられる)昨今、考えてみる価値はありそうである。