- 作者: 藪下史郎
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2013/02/01
- メディア: 単行本
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経済学者ジョセフ・スティグリッツの評伝、その経済学上の思考のエッセンスから、活動家としての側面、それと経済学的思考とのつながりなどを含め、コンパクトにまとめられている。
スティグリッツは、世界経済、米国経済の抱える多くの問題を指摘し、また、新古典派経済学に基づき、経済自由化と競争を推進するIMF等の考え方を「ワシントン・コンセンサス」とよび、東アジア通貨危機に見舞われた国々に対して、政府支出の削減と金融引き締めを求めたことを強く非難したことで、市場原理主義に対する批判者という側面が注目されている。しかしその一方で、「基本的競争モデル」とよぶ競争的な市場を前提とした新古典派経済学の原理をベンチマーク、すなわち、さまざまな前提を取り入れる前の礎石ととらえている。
この観点から、本書では、マルクス経済学における政治経済学的な見地からの資本主義経済批判と、スティグリッツの批判との違いが指摘されている。マルクス経済学では、独占企業による市場の支配、資本家の労働者・消費者に対する搾取による所得格差や貧困が資本主義経済の本質となり、スティグリッツの経済学ではその礎石となる基本的競争モデルは、ほとんど考慮されない。ただし、独占企業による献金・ロビー活動など経済制度を形づくる政治経済的力学に関する見方に関しては、マルクス経済学的な批判とのつながりもある。
基本的競争モデルでは、つぎのことが仮定されている。
- 企業や個人は市場価格を所与のものとみなし、生産や消費に関する決定は市場価格に影響を及ぼさない。
- 個人や企業は取引する商品の品質や価格に関する情報をすべて持っている。
- 個人の消費行動や企業の生産行動は、市場取引を通じてのみ他の個人や企業に影響を及ぼす。
- すべての商品について、それを購入した者だけがその商品の消費・利用からの便益を受けることができる。
ただしこれらの仮定は、しばしば満たされないことがある。上記の仮定はそれぞれ市場の失敗が生じるケースに対応しており、独占や寡占、逆選択やモラルハザード、外部性、公共財が存在することにより、基本的競争モデルがもたらすべき効率性は、現実には実現しないことになる。これらのほかにも、個人や企業といった経済主体が経済活動を行おうとするインセンティブを持つためには、所有権と契約の履行*1に係る取引ルールの確立が必要であり、スティグリッツは、途上国経済や移行経済では、これらが確立されていないことが多いと指摘する。
スティグリッツは、逆選択やモラルハザードの原因となる非対称情報に係る枠組みを利用し、労働市場で失業はなぜ発生するか、失業が存在するのに賃金はなぜ硬直的なのか、といったミクロ経済原理に係る問題を効率賃金理論の視点から明らかにし、そこから新しいマクロ経済学を再構築しようとする。労働市場で逆選択が生じているとき、市場の賃金水準に満足できない有能な求職者が応募を取りやめることで、労働者の生産性は、賃金水準が引き下がるに応じて低下する。また、従業員にモラルハザードが働くと、賃金低下は労働意欲を低下させることから、やはり生産性は低下する。このため、賃金が低い水準にあるときは、その水準を引き上げることで生産性は上昇(生産1単位あたりの労働費用[=賃金コスト]は低下)することになり、生産性を最大化させる位置まで賃金水準が上昇したところで、賃金水準は均衡する。
しかしこの水準は、労働力の需給が均衡する位置での賃金水準に一致とは限らない。このため、失業が存在したとしても、賃金調整は行われることなく、失業が存在したまま均衡が成立する。
また、スティグリッツ=シャピロは、労働市場が均衡状態にあるとき、失業が労働者への規律付けの役割を果たす可能性を論じている。失業が存在すると、従業員は、解雇されたときにすぐに他の職をみつけることができない。このため、賃金が低下したとしても、解雇のおそれから、従業員は労働意欲を低下させることができず、モラルハザードは抑制されることになる。
非対称情報の問題は、金融市場においても、資金の需給が一致する水準よりも低い水準で利子率が均衡することで、資金を必要とする借り手が借入れできない「信用割当」の問題が生じる(親古典派のモデルでは、資金の需給が一致するまで利子率は上昇する。)。このことは、マクロ経済にも影響を及ぼし、企業や個人は外生的なショックによって資金制約に直面する可能性から、つねにリスク回避的な行動をとるようになり、投資需要・消費需要が抑制される。このため、外生的なショックの影響は、新古典派経済学が想定するような一時的なものではなく、長期間持続することになる。
また、ケインズ経済学では、市場金利が低いときの金融政策の無効性を、流動性の罠において貨幣需要の利子弾力性が無限大に近くなり、マネーを増やしても需要で吸収されてしまうことで利子率が低下しないためと説明しているが、スティグリッツは、金融政策の無効性の理由を信用量に求める。経済取引のために重要なのは貨幣量よりも信用量であり、また、多くの金融取引は資産取引であってGDP水準には直接関係しない。さらに、貨幣に類似の役割を果たす準貨幣にも利子が支払われるため、利子率は金融政策として機能しなくなったとする。このため、金融政策として重要なのは信用のアベイラビリティ(企業が借入可能な信用量)であるとし、IMFなどの政策的失敗は、金利やマネーに注目したことにあるとする。
本書では、このほか、グローバルな金融危機を引き起こすきっかけとなった証券化や過大なレバレッジの背景に、銀行のモラルハザードの問題があったとする指摘や、途上国経済の成長率が(新古典派経済成長モデルの含意とは異なり)低く留まることの理由を均衡が複数存在する経済成長モデルから論じるなど、スティグリッツ経済学のさまざまな論点を簡易に図式化することで分かりやすく説明している。
本書の内容を離れ、非対称情報の経済学を日本の文脈にあてはめて考えてみた場合、効率賃金仮説にもとづく労働市場のモデルは、「内部労働市場」を中心とした日本の長期雇用システムがなぜ持続的に成立し得るのかを論理的に説明してくれるように思う。企業は、労働者の生産性を採用前に把握できないという情報の非対称性があることで、(企業外部の)労働市場における「ジョブ型正社員」とのスポット的な労働契約は、必ずしも賃金コストの水準を最適化することにはならない可能性がある。一方、内部労働市場は、「メンバーシップ型正社員」を人事部の管理下に置き、勤続に応じたスキルや能力の高まりを把握することで、配置や昇格をより効果的に実施できる可能性がある。またその結果、「メンバーシップ型正社員」の賃金は労働市場の需給を一致させる賃金の水準よりも高くなる一方、情報の非対称性が存在する企業外部の労働市場は、失業が常態化したり、高いスキルを持たない労働者が(取引の)中心となることになる。すなわち、労働移動を高めることで生産性を上げるという政策を成功に導くためには、情報の非対称性を解消すること、具体的には、職種別の労働市場とスキル評価の標準化が必要になる。
その一方で、金融市場における信用割当の問題が日本の長期停滞の背景にあったかどうかは必ずしも明確ではない。信用割当では、資金の超過需要があるにもかかわらず金利が上昇しないことになるが、日本では、企業の内部留保が増加し、金融機関からの借入よりも内部資金によって投資需要が賄われ、結果として、企業の貯蓄は増加している。日銀短観でみても、2000年代半ばからリーマン・ショックが生じる前までは資金繰りの厳しさはみられず、現在も資金繰りは改善している。信用割当では、資金を必要とするところに的確に信用を供与できる金融政策が重要となるが、資金需要がない場合は、実質金利を低下させ資金需要を喚起することが金融政策の主眼となる。この場合、信用割当のケースよりも、政策効果を上げることはより困難なものとなるだろう。