備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

玄田有史「働く過剰−大人のための若者読本」に対する労務屋氏の書評より

私は同感しないが、関係者のなかには、著者が「フリーター」や「ニート」といった概念を煽情的に(?)用いていることへの批判、反発もあるという。*1しかし、著者が『仕事の中の曖昧な不安』などによって、それまでともすれば「中高年失業」の問題ばかりに目が向きがちだった世論に対して若年雇用問題を説得的な形で指摘したことは明らかな事実だし、その後の著者の活動が、多くの人々の取り組みとあいまって、この問題に対する世論を高め、現実の成果として行政などによるさまざまな施策を実現してきたことも否定しようがないだろう。こうした著者の行動が、若者に対する強い共感と、この問題に対する真摯な熱意によるものであることも疑いない。批判はたやすいし、もとより自由でもあるが、それでは現実に他のだれがこれ以上の成果をあげられたかと考えると、批判が説得力を持つことは難しいだろう。


コメント 玄田有史氏のアクティヴィストとしての側面に対する高い評価。玄田氏の文章は強いメッセージ性を持っており、時に、実証分析の帰結を過剰に評価してしまう側面もあるように思う。*2例えば、(事業所ごとのデータを見た時、) 若年者の雇用機会と高年齢者の継続雇用機会にトレード・オフの関係があることが事実であったとしても、そこからの帰結として、「中高年サラリーマン」の「既得権益」(村上龍=玄田)という概念を作り出してしまうのは行き過ぎである。若年者の雇用機会が減少したことの要因としては、ここで労務屋氏も指摘しているように、総需要の低下、デフレに伴う企業のコスト意識の高まりをこそ指摘すべきだろう。ただし、つい数年前まで、概ね30代以下の層の「利害」に常に基軸を合わせた論考をする経済学者として玄田氏は際だつ存在だったわけであり、「仕事のなかの曖昧な不安」のブレイク以降、一際活躍してきたこともまた事実。

*1:でも「ニート85万人」というのはさすがに行き過ぎでしょう。(参考1参考2

*2:この点は、「日本の不平等」における大竹文雄氏の淡々とかつ中立的に評価するスタイルとは非常に対照的。