- 作者: F.A.ハイエク,矢島鈞次,Friedrich August von Hayek,気賀健三,古賀勝次郎
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2007/08/01
- メディア: 単行本
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序言
- 如何なる人間知性であろうと、社会の運行を司る知識を全て理解することはできず、個別の人為的判断に依存せず個人の努力を調整する非人格的なメカニズムが必要。経済学者は、自分達の特別な知識が考慮されないことを理由に統制力を要求する野望に対して常に反対する。
第1章 自由と個別的自由
- ここで取り扱うのは、社会において、一部の人が他の一部の人によって強制されることができる限り少ない状態。「政治的自由」は、立法の過程や行政の管理において人々が参加する可能性を示すが、これは、個人が自由であることとは異なる。また、「内面的自由」(瞬間的な衝動や事情ではなく、自身で考えた意志や理性に従うこと)の反対は、他人による強制とは異なる。
- 自由と権力は容易に同一視されてしまうものであるが、これらの概念は共通なものではない。自由はよいことばかりではなく、不幸でも有り得る。これらを「同類の中の異種」とする考えは避けなくてはならない。
第2章 自由文明の想像力
- 自らの目的を追求する個人が、自分が得た以上の知識を利用することができ、そこから利益を得ることで、無知の境界を乗り越えることができるときに、文明は始まる。人間の知性それ自身絶えず変化する一つの体系。文明化すればする程、各個人は文明の働きを左右する事実について相対的に無知になる(に違いない)。
- 人間が発達させ、環境への適応において非常に重要な部分を構成する「道具」の中には、その理由を知ることなく習慣的に従う「伝統」や「制度」も含まれる。自生的な「形成物」の中に、自然を支配する一般的法則が知覚される。
- 何が善か悪かを究極的に決定するのは、個々の人間の知恵ではなく、「誤った」信念に固執する集団の衰亡。文明が停止するのは、成長への可能性が尽きたからではなく、人間の知識によってあまりにも完全に行動や環境を支配することに成功したため、新しい知識が生まれる機会が尽きてしまったため。
第3章 進歩の常識
- 進歩をある既知の目標への漸進とみなすとき、社会的進化を進歩とよぶことはできない。答えは重要ではなく、学習の過程とその効果の中に、人間はその知性の贈り物を享受する。
- 富める者の支出は、結果的に後に貧しい者に利用される新しいものの実験費用であり、それ無くしては貧しい者の進歩は更に後れる。進歩と社会主義を両立させるためには、計画的に不平等を作り出すことが必要。不平等は進歩に不可欠とし、進化の運動を遅らせる再分配に批判的な見方(略)。
第4章 自由、理性および伝統
- 自由についての理論には、(1)経験的で非体系的(英国)、(2)思弁的で合理主義的(フランス)の2つの異なった伝統がある。前者は、制度の起源を成功したものの存続に求め、後者は、前もって存在する人間の理性がそれを発明したとするデカルトの見方に基づく。人間の知性の産物ではないあるはっきりした秩序が適応的進化の結果として表れるとする進化論的考え方(略)。
- ロック、ヒューム、スミスの主張は、完全な自由放任論ではない。自由は深く染みこんだ道徳的進行なしには決して作用しない。道徳の規則は、理性の結果ではなくその前提であり目的の一部であって、知性という道具はそれに役立つように発展してきた。合理主義の精神は、規則への服従に絶えず反対。彼等は、計画的に構築された総合的な道徳の体系を求める。