- 作者: F.A.ハイエク,矢島鈞次,Friedrich August von Hayek,気賀健三,古賀勝次郎
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2007/08/01
- メディア: 単行本
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第5章 責任と自由
- 自由と責任は不可分。人間の行動と心の作用は外的条件により必然的に決定されるとみる「普遍的決定論」は、19世紀の科学を支配。しかし人々が主意的行動と責任の意味について受け継いできた困難は、(知的混乱によるものであり)その結果ではない。責任の概念は、実際に決定論的な見解に依存し、因果の連鎖の外に立つ形而上学的な自我を構築することのみが人間を責任から免除する。
- 責任を(個人に)帰属させることの根拠は、そのことが、人々に合理的かつ慎重に行動するよう促す効果があるとの信用。道徳的評価は、自由のないところでは無意味。人間の行動が監視・命令・強制の下にあるのであれば、道徳は名目に過ぎない。
- 責任が効果的であるためには、個人の責任であることが必要。大都市の発展は個人の独立性を高めた一方、個人的結びつき等から得ていた安全を奪う。国家による保護が求められるのは、小さな利益共同社会の消失と個人の孤独感の結果。
第6章 平等、価値およびメリット
- 自由擁護論は、個人的差異は、政府による人々の「差別的な」取扱いを正当化するものではなと主張。差異が重要なものでなければ自由も重要ではなく、個人の価値という考えも重要ではなくなる。「人間は全て生まれながらにして平等」というのは事実の言明としては全くの誤り。平等に反対するものではないが、ある恣意的に選択された分配の型を社会に押しつけようとするあらゆる企てには反対。
- 家庭、相続、教育の世代間移転についての擁護(略)。
- 自由な制度では、報酬をメリット*1に一致させようとするのは望ましくもないし実際的でもない。ある人に対する我々の義務を決めるのは、成果の価値でありメリットではない。報酬を価値ではなくメリットに一致させようとすれば、人々が何を成すべきか自ら決定する誘因を破壊。
- 個人の努力の結果を予測することはできないため、所得配分が公正かどうかの問題に何ら意味はない。一部の報酬を人為的に統制することは、新たな統制に対する要求を生み出す。
第7章 多数決の原則
- 民主主義は目的ではない。集団的支配の拡張が望ましいかどうかの問題には、民主主義の原則以外の根拠が必要。自由主義者は、一時的な多数者の権力は長期的な原則によって制限を受けることを望む。民主主義の価値は、静態的よりも動態的側面において立証される。
- 多数意見が一部の人たちによって常に反対されることで、我々の知識と理解は進歩する。
第8章 雇用と独立
- 無産プロレタリアートの出現は収奪過程の結果であり、大衆は以前は独立生計が可能であった財産を奪われた、という「神話」は事実と異なる。被雇用者は、(相対的な雇用の安定や高い所得により満足を得ており、)強制という意味での不自由はない。
- (被雇用者が多数を占めるにつれ、)資本の所有と使用に関する事柄は、少数の特権的集団の特別な利益として取り扱われるようになり、これに差別を加えて不利に扱うことが公正となる。
- 市場機構では十分に行き届かない目的を支援する場合に、独立の財産家はどんな文明社会においても欠くことのできない役割を担う。政府がこれを行う唯一の機関であってはならない。怠惰な富める者に対する寛容が必要。
*1:「人間の道徳的精神的な評価」。メリット≒努力?