1996年に始まる日銀法改正の議論からアベノミクスのもとでの異次元緩和まで、四半世紀にわたり、ジャーナリスト的な(極力私見を交えず丹念な取材に基づく)視点から日銀の動向を記述。1997年秋に始まる日本の金融危機、2008年の世界金融危機(いわゆるリーマン・ショック)など、自分にとっては同時代史の緊迫した場面を改めてなぞることができ、その間に金融政策の関係者が考えていたこと、政策決定の背景などが生々しく描かれる。
1990年代以降、日本経済が長期停滞する中、日銀の金融政策は批判され続けてきたが、そうした中での日銀企画局、特に雨宮現副総裁の考え方や行動様式については、新たな理解ができるようになった。速水、福井、白川総裁期の日銀は、(福井総裁期の初期を除くと)実体経済に対し引締気味の姿勢が随所にみられたが、その間の総裁と企画局との対立、機能不全、間に挟まれる副総裁の苦悩などは、本書のような描き方により始めて明らかになる。
内側から描く日本の金融政策
福井総裁期は小泉政権の時期にあたり、就任時には積極的な緩和姿勢があり、その後もビハインド・ザ・カーブ論に言及するなど、表向き、特にその初期においては速水総裁期との違いが際立った。しかし、その思想の根底では、表向きの様相と異なり、(速水総裁の相談相手であったことからも伺えるように)金融政策の「正常化」に向け強い意志を有し続けたとされる。そして時には財務省とも対立しつつ金融政策を「正常化」に近づけ、2006年に量的緩和政策とそのコミットメントを解除することになるが、結果的は様々な逆風に会い、退任後の世界金融危機で日銀は再び包括緩和政策の導入を余儀なくされる。その間、CPIの基準改定により物価上昇率が0.3〜0.6%下方修正され、量的緩和政策解除の前提(物価上昇率が基調的にゼロ%以上)が崩れた、いわゆる「CPIショック」があり、日銀執行部に大きなダメージを与えている。このことはその後、一部の日銀関係者の「トラウマ」となり、その行動パターンに何らかの影響を与えた可能性があるように感じられる。
政権交代期の総裁任命をめぐる政治の混乱の中、突如登場することとなった白川総裁は、(福井総裁と同様)緩和に消極的であり、政策に「小出し」の印象を与え、企画局との対立も先鋭化する。世界金融危機の余波が続く中、「政策金利であるコールレートを0.5%から0.3%に引き下げる一方、日銀への預け入れが義務付けられている準備預金のうち、所要額を上回る「超過準備」に0.1%の金利を付ける「準備預金付利制度」を導入」し、これにより、市場金利の上限としてのロンバート型貸出金利、下限としての付利制度によって、その間を金利が変動するコリドー・システムが成立する。
黒田総裁期は、その当初においてサプライズを起こした「異次元」の金融緩和(量的・質的金融緩和)が注目されたが、本書に描かれているのは、それが雨宮(現副総裁)が率いる企画局が短期間で導き出した政策であり、「短期決戦」を主眼とし、2%の物価ターゲットが2年で成立可能であることを誰も疑わなかったことである。結果的には消費増税が実体経済に極めて大きな影響を与えたことなどもあり、物価ターゲットは未だ実現されていない。一方、こうした大規模な緩和が円滑にできた背景には、白川時代の金利のコリドー・システムが黒田総裁期においても継続され、金融機関に超過準備を積むインセンティブがあったことと、長期国債を日銀が「言い値」で買い続けたことがあり、実際のところ、金融政策の継続性は(現在においても)維持されているようにみられる。2016年には異次元緩和の総括的検証が行われ、「操作目標をマネタリーベースから長期金利に変更し、短期金利はマイナス0.1%、10年物国債金利はゼロ%程度に設定」するイールドカーブ・コントロール、「CPI上昇率が将来2%に達しても、それが安定するまではマネタリーベースを増やし続けることをコミット(約束)する」オーバーシュート型コミットメントを導入、財政運営との政策の一体化が進んでいるが、この政策を編み出したのも企画局(雨宮担当理事)であったとしている。
異次元緩和、その後
異次元緩和がもたらしたジレンマとして、著者は、①巨額の資産買入による資源配分・価格形成の歪み、②財政規律の低下、③マイナス金利(2016年)以降に表面化した金融仲介機能の低下を挙げ、この他、日銀自身が緩和の出口で直面する財政危機を指摘する。また、今後の展開について、経済が回復して潜在成長率も上昇に転じる場合は、長期金利の上昇をどこまで容認するかで日銀と政府は再び対立することになるとし、一方そうはならず、潜在成長率が低下を続ける中、日本経済の地盤沈下が静かに進むことも考えられ、この場合、長期の金融緩和は生産性の低下傾向をさらに助長、金利のシグナルが消滅し、異次元緩和が永遠に続くという期待のもと日本経済が「白色矮星」化していくことが考えられるとする−−
実際のところはどうなのだろうか。もし後者のようなシナリオが成立する場合、物価上昇と円の下落が同時に生じることが考えられ、物価に応じて賃金も上昇する。その際、現在のような生産性の低下傾向は反転・上昇し、企業の人手不足感もしだいに圧縮されることになる。それがハードランディング的に日本経済を変動させることこそが、家計にとって避けるべきシナリオなのではないか。そのように考えると、「異次元緩和が永遠に続くという期待」は必ずしも否定的すべきものではなく、マクロ的なバランスを欠く経済の見方による緩和姿勢への批判こそが、ここまで完全雇用に近づいた日本経済に災禍をもたらすものとなるのではないだろうか。