ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

下流社会論の陥穽−社会思想編

 社会の二極化、特に、若年層に広がるフリーター・ニートなどの問題については、これをネット世代の「右傾化」の要因とする論考も話題を呼んだ。高原基彰「不安型ナショナリズムの時代」(2006)では、嘗てのナショナリズムが一律的で、国民全体を統合する理念を持っていたのに対し、現在、若年層に広がりをみせるナショナリズムは、国内における立場(特に世代)の違いを色濃く反映するものである。韓国・中国のネット世代にも同様の「右傾化」がみられるが、これらは、対外的な攻撃性以上に自国の問題、経済の「高度成長」に対する再検討を迫る立場から生じているとし、日本においても、フリーター・ニートなどの問題は、多分に、「高度成長」の再検討を要する問題であるとみる。
 高原(2006)では、フリーター・ニートの増大、そしてネット世代の「右傾化」へと繋がる一連の事実を生んだ背景を、[1]総中間階層化、[2]脱工業化、[3]社会流動化、という社会の3つの発展様式の中で、現在が[2]から[3]へと向かう過渡期に当たることに求めている。
「脱工業化社会」(ダニエル・ベル)では、フォーディズム型の生産様式が主流であった時代が変化し、商品の多品種化が進む。その中で、「生産手段」などのハードから、「情報」「技術」などのソフトの方へ重要度が移行する。就業者に占める「雇用される者」の割合が次第に高まり、企業組織は、硬直化が進む(「官僚制」の強化)。また、政府・公的部門も拡大する。
 一方、「脱工業化社会」が転機を迎え、「社会流動化」が進むと、若くして起業する「ニューリッチ」が増加し、企業組織は流動化が進む。勤続や経験を通じて高まる熟練技能の価値は低下し、製造業型の産業からソフトウェアなどサービス産業型の産業が主流となる。この時代には、競争とそれに伴う浮き沈みが激しくなり、社会の不確実性は大きくなる。
 日本は近年、「脱工業化社会」から「社会流動化」への変化の時代を迎えている。「社会流動化」の段階への転機の時代には、「団塊の世代」は硬直的な会社組織の中でその地位が守られているため、これから就職へと移行する若年層が不利益を被り、現在のフリーター・ニートの問題を生んだとみている。インターネット上に広がるナショナリズムは、こうした「末端の企業人たちの慰撫」として機能しており、東アジア経済の台頭などグローバルな市場経済の動向を背景としているという意味で、欧米における「移民排斥」のような動きとも類似性を持っている。これは、「社会流動化」の後のナショナリズムであり、社会の安定性から疎外された「不安」によって生じる「個別不安型ナショナリズム」であるという。また、本書では、このような「社会流動化」は、一貫して、日本における「開発主義」、上からの流動化*1として捉えられている。
 これらの内容、特に、日本の「開発主義」に過度に重きを置く見方や、「社会流動化」が進む中で、熟練技能の価値が低下するといった労働を巡る論点については、既に、田中(2006)、稲葉(2006)等の批判がある。日本の産業政策の経済成長への寄与については、必ずしも証明された議論であるとは言えず、否定的な見解も数多い(岩田(2005)、原田(2005)等を参照)。例えば、原田(2005)では、日本の経済的な発展をもたらしたのは、産業政策等の政府の関与ではなく、企業の自由な競争環境における創意工夫であり、自由な資本主義こそが生活の豊かさをもたらすということが、丁寧に説明されている。後者の点については、賃金統計によれば、近年、勤続評価を弱めるによる賃金プロファイルのフラット化は抑制されており、40代半ばまでは、企業が従業員の勤続を重視する傾向に変わりがないことを厚生労働省「平成18年版労働経済白書」が論証している。
 高原(2006)の語る3つの発展段階を実際の時代区分に当てはめる検討をしてみると、[1]総中間層化の時代は、05/09付けエントリーに掲載した図2から明らかなように、中流が傾向的に拡大した第一次オイルショック以前の「高度成長期」に当てはめることができよう。[2]脱工業化と[3]社会流動化の時代区分について、半ば強引に区切りをつけるとすれば、製造業の成長率が低下するバブル崩壊前後ということになろう(表1参照)。しかし、2000年から2005年にかけては、製造業の国内総生産に占める構成は再び高まりをみせており、高原(2006)の様な時代区分の捉え方には、違和感が残るであろう。これに加え、05/09付けエントリーにおいて述べたように、バブル崩壊後の「長期不況」は「循環的な」ものとみなすことができる。

 とは言え、若年層のナショナリズムの要因ともなった東アジア経済の台頭などに代表される経済のグローバルは、製造業の国内におけるシェアを今後も縮小させるであろうことを予測させる。しかしながら、この問題も、多分に「長期不況」に伴う国内需要の低下によって引き起こされていることが指摘できる。図3、図4からは、近年の実質経済成長率は、民需の寄与度が低下する一方、輸出入の構成が、グロスでみてもネットでみても高まっていることを伺うことができる。

 国内総生産Yについては、消費C、投資I、貯蓄S、輸出Xe、輸入Xiを用いて、次の2つの恒等式によって表現される。
 Y=C+I+(Xe-Xi)…(1)
 Y=C+S…(2)
この(1)及び(2)式より、貯蓄から投資を引いたもの(貯蓄投資バランス)は、純輸出に一致することが導かれる。デフレ期待に支配される経済では、現在の投資が、将来、商品の生産に繋がっても、期待する利益を生む価格水準で得ることができるのかが不透明である。このような、デフレが生む将来の不確実性は、貯蓄投資バランスを引き上げ、純輸出の構成を高めることとなる。*2また、国内需要が長期的に高まっていくことが見込めない場合、企業は積極的に海外展開を行う。実際、企業の海外生産比率は、近年、継続的に高まっている。無論、海外との経済関係が深化することにより、グロスでみた輸出入はそれぞれ拡大する傾向もみられるが、輸出財・輸入財の選択には比較優位の原則が働くため、輸入だけが一方的に増加するような現象は、現実には考え難いのである。
 このような事実は、経済のグローバル化として語られる現象にも、国内の「循環要因」によって規定される要素があることを物語っている。デフレ・長期不況が解消された時点になって、始めて、真のグローバル化の姿を垣間見ることができると言えるのかも知れない。
 同書には一言も触れられていないが、確かに、日本経済は国内に大きな「構造要因」を抱えている。少子・高齢化の進展に伴う人口減少社会がそれにあたる。しかし、人口減少に伴う国内需要の成長の低下という問題に関しても、マクロ経済政策を前提としたミクロの就業促進政策によって、その衝撃を最小限に食い止めることは可能である。
 若年層の持つ「不安」、それに伴う「右傾化」という将来の社会不安にも繋がる問題については、その背景にあるのは、同書の言うような、社会の必然的な発展段階の進化という「構造要因」ではなく、やはりデフレ・長期不況という「循環要因」と、それが引き起こす人々の幸福感の低下にその真因があったのである。だとすれば、その処方箋も、同書の言うように、「リスクや二極化に耐えうる個人を、公共的支援によって作り出す」というような「開発主義」的なものに求めるのではなく、先ずは、マクロ経済政策という、極めてオーソドックスでかつ副作用の少ない政策によって対処するべきなのである。

  
(参考資料)

日本経済を学ぶ (ちくま新書)

日本経済を学ぶ (ちくま新書)

  • 原田泰(2005) 「世相でたどる日本経済」

世相でたどる日本経済 (日経ビジネス人文庫)

世相でたどる日本経済 (日経ビジネス人文庫)

*1:旧日経連が提唱した「雇用ポートフォリオ」の考え方の広がりや、産業や労働の規制緩和が進んだことなどを念頭に置かれているものと思われる。なお、非正規雇用比率は、確かに、1990年代半ば以降急速に増加したが、傾向的にはそれ以前から増加している。また、派遣労働の規制緩和非正規雇用増加の主たる要因であるとするような論考もみられるが、派遣労働者は、全体からみれば、それ程多くの構成を占めているわけではなく、仮に、規制緩和がなかったとしても、外的な経済環境に違いがないのであれば、その他の非正規雇用業務請負等、別のサービスを企業が利用する傾向が相対的に高まり、雇用者の構成自体には、そう多くの違いは生じていなかったものと考えられる。このように、非正規雇用増加の要因を制度面に求める考え方には多くの無理があり、デフレ・長期不況という外的な経済環境の中で、先行きの経営に不確実性が高まったことが、その主因であると考えられる。

*2:一方、少子・高齢化が進展しており、マイナスの貯蓄行動をとる高齢世帯が相対的に増加すれば、貯蓄は減少し、純輸出もまた減少傾向を持つこととなる。