ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

大竹文雄、白石小百合、筒井義郎(編著)『日本の幸福度 格差・労働・家族』

※追記を追加しました。(01/18/11)

日本の幸福度  格差・労働・家族

日本の幸福度  格差・労働・家族

 幸福度については、これまで、経済学的な手法を用いた研究がさかんに行われ、所得や経済的格差、失業、家族関係等の要因と主観的幸福度との関係について、さまざまな仮説提示と実証が行われている。本書は、日本においてこの分野の研究を先駆的に行ってきた著者らによって、これまでの研究成果のサーベイと日本の統計を用いた実証、主観的データを扱う幸福度研究の問題点・留意点等を総合的に整理したものであり、日本における幸福度研究の、おおむね10年単位でみた場合のひとつの通過点を示すものである。
 各章は、それぞれ論文として初出されたもので、これらの文献を追っていた読者には、特段、新しい知見が得られるわけではないかも知れない。それぞれの論文は大幅に改定(基本的には簡素化)されており、初出論文と比較すれば、はるかに読みやすくなっている。ただし、その反面、もとの論文にあった一部の論点が省略されている。例えば、第1章のもとである白石、白石論文では、最初に幸福度の概念整理がなされ、外的価値と内的価値、機会と結果等の視点から図解されているが、この箇所は本書では省略されている。このため、主観的幸福度とケイパビリティ(セン)との関係を考えるといったような視点も失われている。主観的幸福度がいわば「所与」の概念とされてしまったのは、幸福度研究の総合書としての本書の位置付けからすればやや残念である。

 第2章以降は、主として実証分析の結果が、個人属性や失業、経済的格差、結婚・子育てなどの視点から取り上げられる。著者らの関心が、特に失業に偏っているのは、平成不況期以降の経済問題として雇用が重視されるとの認識からであろうし、それ自体は正しいと考えるが、非正規雇用の増加、派遣労働者の雇い止め等、この間雇用をめぐる環境には大きな変化がある。本書でも、第2章では雇用者一般の場合とは異なり、主婦のパート労働は幸福度を低下させることが触れられており、仕事や働き方によって、幸福度に与える影響が異なることが示唆されている。これらの研究は、調査設計段階から関与することのできるかなり恵まれたものであり、その意味では、不本意な就業を行っている者や就業意欲を喪失した者、雇用は安定しているが長時間労働を行っている者など、労働者のカテゴライズをより詳細に行うべきであった気もする。
 とはいえ、以下のような指摘は、経済学的な視点のみならず雇用政策としての視点からみても、きわめて重要である。

 所得をコントロールしても失業者は不幸だという結果は、失業に対する政策に大きな含意を持つ。つまり、十分な失業保険制度を整備し、働いているときの所得を完全に保障したとしても、雇用を守る政策には及ばないのである。また、経済学が想定する労働の負の効用の仮定に対しても疑問を投げかける。働いている人と、失業しているが賃金と同額の所得を保障されている人の差が、労働しているかしていないかだけであるとしたら、労働をしていない人のほうが不幸となるということを意味する。これは、労働が正の効用をもたらす*1ことを示唆しているかもしれないからである。(同書21頁)

 なお、特に後半で仕事と生活の調和、子育て等と主観的幸福度の関係に関する分析が充実しているのは、内閣府経済社会総合研究所(ESRI)のプロジェクトとの関係があってのものであろう。近年の動きであるCMEPSP報告に関しては、あまり触れられてはいない。
 その一方、第3章では、主観的データを用いた経済分析に関する問題点が、一定の範囲で整理されており、単なるサーベイ・実証の整理に止まらない広がりを本書に持たせる上で、重要な章となっている。幸福度研究に限らず、理論モデルが介在しない実証には解釈上の制限がともなう。この点を十分に踏まえることなく、実証によって世間の注目を引く結果を引き出すことだけに勤しむ動きがこれまでなかったとはいえない。特に、幸福度研究の結果は、政治的な影響力を持つようなケースもあり得るだろう。研究の結果を解釈することには、十分に慎重であるべきであろう。

(追記)
 本稿を書いた時点では、第8章『家庭内分業と結婚の幸福度:日米比較』は未読であったが、分析が極めて優れており、かつ日米の既婚女性の意識の違いが象徴的に現れている。この章を含め、本書の最大の意義は、日本の幸福度分析に関する今後に寄与するような定型的事実を形成していることであろう。

*1:もちろん、労働のどの側面が正の効用をもたらしているのかは解釈が難しい。失業は、所得とともに職場を通じた人間関係を失わせ、きずなの喪失が幸福度を低下させているのかも知れない。あるいは、職業に付随する個人のアイデンティティや仕事をしているということの「顕示性」の喪失が、所得の低下以上に幸福度を低下させるとも解釈できる。