ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

マイケル・ガザニガ(藤井留美訳)『〈わたし〉はどこにあるのか ガザニガ脳科学講義』

 本書は、分離脳患者の研究で知られる神経科学者マイケル・ガザニガ教授によるギフォード講義(スコットランドで120年以上の伝統を持つ「あくまで自然科学として」論じることを条件づけられた連続講義)をもとにしている。神経科学において一時は有力であった「白紙」説では、脳の仕組みと知性は大脳皮質の「量」に左右され、脳のどの領域も同じ機能を果たし専門化は生じない(等脳性)の原理が提唱された。しかし(著者の師である)ロジャー・スペリーは、脳には一定の先天性があり「神経細胞の分化、移動、軸索誘導は遺伝子の管理下にある」という固定配線理論を提唱した。脳は「大きいこと」だけがよいわけではなく、ヒトの脳では、局所的な回路が特定の処理だけを行う専門化、自動化が生じる。ヒトの脳は遺伝子の強力な制御のもと発達し、同時に後天的要因と活動依存的学習で磨きをかけられた結果である。
 霊長類の脳は全体が大きいわりに左右の半球間をつなぐ脳梁が小さく、脳の大型化に伴い左右の連絡が悪くなる。神経回路の多くは同じものが左右の半球に一つずつあり左右対称となっている。難治性てんかん患者に対し行う脳梁離断術は、発作の不安をなくす効果を患者に与える一方、片方の半球からもう一方の半球への情報の伝達を難しくする。分離脳患者への実験を通じ、著者は当初「脳二分説」を唱える。

 (中略)「大脳の正中切開によって正常な統一意識が分裂し、分離脳患者は左精神と右精神の(少なくとも)二つの精神を持つことになる。これを裏付ける証拠を、我々はこの10年間積み上げてきた。これは結合双生児が完全に独立した人格であるように、完全な二つの意識体として共存している」
 だが、二つの意識のうちどちらが主体なのだろう? 自分が二人いて、自由意志も二つあるということなのか? (中略)では、この揺るぎない統一感はいったいどこからきているのか? 意識と自己感覚は、本当に脳の片側に存在しているのか?

 しかし認知能力の実験を重ねることで、この「脳二分説」は揺らぎ始め、二つの半球における意識的な経験の違いが明らかになる。左脳と右脳の機能には、それぞれ得意・不得意なものがあり、左脳には難なくこなせる推論は右脳では苦手である。二つの半球に生じる意識的な経験は明らかに異なる。意識的な経験は、単一のメカニズムとしてあるのではなく、脳内にはありとあらゆる局在的なメカニズムがあり、その組合せが意識の出現を可能にしている。

インタープリターとしての左脳

 脳内に無数の複雑なメカニズムが局在し多種多様な働きをしている中で、私たちの統一感はどのようにして生じるのか。それを与えてくれるのが左脳のインタープリター(解釈装置)としての機能である。自分の行動に対する説明は、すべて後付けの観察に基づいた後付けの説明である。脳で行われる処理の大部分は無意識かつ自動的に行われるが、これらは後付けの説明の中には織り込まれない。さらに左脳は、整合性のあるストーリーに当てはめるためなら捏造もやりかねない。こうしたことも分離脳患者に対する実験で明らかになる。

 現在の神経科学では、意識は統一的な単一のプロセスではないというのが定説だ。意識には幅広く分散した専門的なプロセスと、分裂したプロセスが関わっており、そこから生成されたものをインタープリター・モジュールが大胆に結合しているのだ。意識は創発特性なのである。(中略)
 私たちの主観的な自覚は、意識上に浮かんできた断片的な情報を説明しようとする左半球の飽くなき追求から生まれでている。「浮かんできた」と過去形で表現しているように、これは後づけの解釈プロセスだ。

自由意志、決定論

 決定論とは、人間の認知、決定、行動を含めた現在と未来のすべての出来事や活動が自然界の法則に従った過去の出来事を原因として必然的に発生している、とするもの。決定論者は、宇宙とそこにある万物は因果律に支配されていると信じる。そこから派生して、「宇宙とそこにある万物が基底の法則に従っているのだとすれば、人間は自分の行動に責任をとらなくていいということではないか?」という(眉を潜めたくなる)主張もある。人間の意識は左脳のインタープリターによる後付けの説明として生じ人間の行動はそれ以前に決まった法則によって生じている、すなわち「意識は後手に回る」という神経科学の研究結果もまた決定論を後押しする。
 ニュートン力学から相対性理論に至る物理学は決定論を後押しするものであったが、カオス理論、量子力学の登場により、物理学者は決定論の裏口からこっそり逃げ出す。創発とは、「ミクロレベルの複雑系において、自己組織化(創造的かつ自然発生的な順応志向のふるまい)が行われた結果、それまで存在しなかった新しい性質を持つ構造が出現し、マクロレベルで新しい秩序が形成されること」である*1。人間の行動、責任や自由の感覚は、多くの脳の集団相互作用で見出される創発的な性質である。ミクロの物語、還元主義の立場から、マクロの物語を得ることはできない。

 行動の道筋を定める作業は自動的かつ決定論的だ。それをある時点でモジュール化して推進するのはひとつの物理系ではなく、数百、数千、いや数百万の物理系である。実行された一連の行動は意思的な選択のように見えるが、実は相互に作用する複雑な環境がその時選んだ、創発的な精神状態の結果なのだ。内外で生まれる相補的な要素が行動を形作っている。脳という装置はそうやって動いているのである。(中略)実際は、つねに存在しているいくつもの精神状態と、外からの文脈の影響力がぶつかりあっているなかで、脳は機能している。そのうえで、私たちのインタープリターは「自由意志で選択した」と結論づけているのである。

 ここから個々の行動が制約を受ける社会的な文脈へと話が進む。右脳は合理的に判断し左脳は他人の情動を理解する、神経科学の結果を裁判の証拠として用いるのは時期尚早等。

 なお、本書の中心を占める「心の理論」に関しては、甘利俊一『脳・心・人工知能』の最終章でも論じられているが、同書は、脳の機能に関する数理的な解析が中心を占めている。

*1:経済学において創発を取り入れた研究にポール・クルーグマン『自己組織化の経済学』がある。