備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

橘木俊詔、森剛志『新・日本のお金持ち研究』

 2009年10月刊。2005年に出版された『日本のお金持ち研究』の続編で、内容は異なる。本稿の著者は、前著『日本のお金持ち研究』を未読であるが、関係箇所は概ね引用されており、また著者の一人による短い紹介文で、その大まかな内容は知ることができる。

 これらの基となる研究では、「お金持ち」と言われる人はどのような人なのか、どのような経緯で「お金持ち」になれたのかなどを明らかにするため、国税庁『全国高額納税者名簿』(2001年度版)の住所・氏名を利用したアンケート調査を行っている。しかしこの名簿は2005年度版を最後に作成されなくなり、以後、同様の研究を実施することは困難となっている。その意味では、出版から十数年を経ているものの、本書と前著の内容は未だ希少性を保ち続けている。
 著者らは、高額納税者名簿が作成されなくなったことに対し、富裕層の研究ができなくなったという理由から批判的で、秘密保持や犯罪防止の方策は他ににいくらでもあるはずだという。しかし現在の視点からみると、妬み・嫉みに溢れたネット上の発言や、日本社会の同調圧力などの観点で、むしろ当時の判断は正しかったと考えられる。

教育分野からのアプローチの可能性

 前著の内容は、先に引用した短い紹介文にもあるように、お金持ちの職業属性やその地域別の違いなどを取り上げている。一方本書では、前著では扱わなかったお金持ちの住む地域、消費スタイル、教育や投資の考え方、格差に関する見方などを扱う。
 これらをざっとみて気になるは、職業属性がコントロールされていないことである。富裕層に占める医師の割合は、前著から、全体で15.4%、特に東京以外では23.4%と高い割合を占めるが、彼ら自身の教育水準、その子どもの教育についての考え方などは、他の職業属性(企業経営者など)と大きく異なることが想定される。職業属性をコントロールしなければ、「お金持ち」に共通した特徴を導くことはできない *1。なお本書が出版された時期を考えれば、現在の進化した実証分析の視点で批判することは必ずしも適切ではないが、それでも、やや曖昧な印象を拭えない。

 また、お金持ちの居住地が名門高校の周辺であるとの指摘について、本書の分析だけで実証されたと言えるのか不明瞭である。とは言え、自分自身の経験として、ある私立中高の親の職業について、学年にもよるだろうが、肌感覚で7割を超えて医師であったように感じたことがある。居住地の話は別としても、(医師に代表される)お金持ちは子の教育に熱心で、それは投資の意味をも持ち、学力エリートの再生産につながっているとする本書の指摘は、実証のためのデータを得ることは困難であるものの、確度の高い仮説であるとみている。むしろこうした仮説により、一部の結論にバイアスが生じている可能性を感じる。
 現在でも大学学部の中で医学部の人気が高いこと*2、(将来起業することを目指してか)情報系学部の人気が高いことなど、大学入試に関するデータは、本研究の結果とも親和性が高いように感じられる。これに限らず、最近は教育ビッグデータの利活用に向けた動きもあり、今後、さらにライフサイクルに渡るデータが蓄積されれば、本研究の延長上で実証性の高い研究を行うことも可能になる。例えば以下の対談では、効果的な教育について、成功者の視点から事後的に探るのではなく、データドリブンで探ることの重要性と可能性が指摘されている。

hiptokyo.jp

 データ利活用の可能性をさらに考えると、医師や企業経営者の高い労働収入が限界生産力(人的資本)に起因するものか、それとも制度的なレントに伴うものかなども探ることが出来るようになるかも知れない。ただし、こうした研究が単なる個人の興味関心を超えて社会的な意義を持ち得るものかに関しては、様々な意見があり得るだろう。

 上述の教育に関する視点の他に興味を引いた視点としては、

  • お金持ちを本物の「富裕層」と「擬似富裕層」に分けて比較した場合、前者では、車の収集など顕示的消費(ウェブレン)に関心のある者の割合が少なく、後者では多い。また、前者では投資・資産運用への関心が強い。
  • 日本の株式収益率が低いこともあり、日本のお金持ちは、株式からの配当所得よりも土地・不動産賃貸所得が多い。

などがある。

*1:年齢についても同様の指摘ができるが、引用されたデータの多くを年齢階級別に表示しており、一定の配慮はみられる。

*2:特に近年、私大医学部の難易度は著しく高くなった。私大医学部と理工系学部の難易度を比較した表をみれば、受験生の親世代は隔世の感を覚えるだろう。