ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

多田洋介『行動経済学入門』

行動経済学入門 (日経文庫)

行動経済学入門 (日経文庫)

2003年に単行本として出版された本書は、行動経済学に関して出版された日本語の書籍としては最初期に当たる。その後も、行動経済学の基礎的理論は大きくは変わっていないとのことで、2014年に日経文庫として再録された後も当時のスタイルは維持されている。その後、ノーベル経済学賞の影響等もあり行動経済学に関する書籍の出版は相次いでいるが、本書の特徴としては、標準的な経済学についても丁寧に言及した上で、それと対比させる形で行動経済学の特徴をみていく点にある。

本書の構成

本書の構成を概観する。まず第1章では、標準的な経済学が想定する人間像「ホモ・エコノミカス」について、現実の人間は「超」が付くほど合理的ではなく、先送りの誘惑にかられ、常に利己的とは限らない、という点から限界があることを指摘し、その上で、ベイズ・ルール、期待効用仮説、時間を通じた消費決定モデルという標準的な経済学の基本的なツールを批判的に捉え直す。その際の事例としては、囚人のジレンマ、期待効用仮説に対するアレのパラドックス、多期間モデルに内在する強い仮定等が取り上げられる。

第2章では、限定合理性の経済学として、サイモンの最適化コスト、ゲーム理論の実証研究、アカロフの近似合理性や貨幣錯覚等が紹介されている。最適化コストを含めた経済主体の最適化問題Pを考える場合、修正された最適化問題F(P)を解くに際して再び計算コストが生じ、F^2(P)を解く必要が生じるため、「堂々巡りの問題」になるとするコンリスクの議論*1や、オークションでの合理的行動の結果、「勝者の呪い」とよばれる逆選択の状況が生じること等、限定合理性の経済学の中にある興味深い話が取り上げられている。

第3章から第7章までは、行動経済学の教科書的な話題が俯瞰的に取り上げられる。最初に、人間がつい「近道選び」をしてしまうことから統計的推測にもとづく合理的選択から外れてしまうケースとして、①代表性、②利用可能性、③係留効果、④自信過剰と保守性が、読者の心理に訴える具体的事例とともに説明される。*2

カーネマンらが名付けたプロスペクト理論は、人間の持つ心性である損失回避性を理論付ける。このことは、内容的には全く同じ設問に回答者が異なる回答をしてしまうフレーミングの問題*3にもつながっており、二つの設問によって「参照点」に違いが生じることで、人間のリスク認識を変化させ、相反する答えをさせてしまうことが論証的に説明されている。

第6章の双曲的割引モデルによる時間不整合性の説明も、上記2つの説明と同様、いまではメジャーな考え方になっているが、別掲に数式も記載することで、標準的な経済学が内包する指数的割引モデルとは何が異なり、時間経過とともにどのように違いが生じていくのか、という「勘所」が明確になっている。時間整合的な経済学が望ましいとされてきた理由として、「時間整合性は、現在の自分と将来の自分が、自分自身の効用最大化のやり方について互いに合意することを意味するという点で、望ましい経済主体の姿にふさわしい性質と考えられていること」が指摘されている。なおこの部分については、「自由意志」とはそもそも存在するのか、という根本的な議論にもつながるものと考えられ、興味を引くところである。

  • ダニエル・C・デネット「自由は進化する」

http://traindusoir.hatenablog.jp/entry/20080808/1218210745

経済学の規範性

最終章では、経済学が持つ規範性としての機能について、政策面への応用可能性という点を中心に述べられる。新古典派経済学は、パレート最適という規範性の機軸を持つ。一方、現実の人間の一見「非合理」な行動は、行動経済学の議論を踏まえれば「合理的な振る舞い」であるともいえる。この場合、その行動に対してパターナリズムの立場から指示を行うことは政策論として認められ得るか、という議論が生じる。本書は、そうした議論の一つである「穏健なパターナリズム」についても、最後に触れている。

この他にも、金融市場の分析における「行動ファイナンス理論」や、相互応報的動機がゲーム理論との関係において明示的に取り上げられるなど、新書でありながら、行動経済学に対する射程は幅広いものとなっている。

*1:https://www.jstor.org/stable/2729218?seq=1#page_scan_tab_contents

*2:最後の自信過剰の問題は、人間は「自分自身を悪いと考えることは不快であり、しばしば意図的に、判断を不利にするかもしれない事情から目をそらす」とするスミスの自己欺瞞の問題とも相通じるところがあるようにも思える。 http://traindusoir.hatenablog.jp/entry/20111123/1322048594

*3:タイラー・コーエンは、フレーミング効果をむしろ前向きに利用することで、人間生活に役立つものとすること推奨する。 http://traindusoir.hatenablog.jp/entry/20120111/1326283021