備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

今年の10冊

 恒例のエントリーです。本稿では今年出版された書籍ではなく、前年の同エントリー以降に読んだ書籍の中から10冊を取り上げます。以下、順不同で。

オリヴィエ・ブランシャール(田代毅訳)『21世紀の財政政策 低金利・高債務下の正しい経済戦略』

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 r-g<0が中長期的に継続する可能性が本書の肝。そのため、これまでのマクロ経済学の「定型的事実」に対する異論が並べられる。使用される知識は、ローマー『上級マクロ経済学』であれば第2章までのラムゼイモデルと世代重複モデル。

大塚啓二郎、黒崎卓、澤田康幸、園部哲史(編著)『次世代の実証経済学』

 近年興隆する実証経済学、中でもリサーチに基づく誘導型モデルによる因果推論、EBPMに関する幅の広い話題が取り上げられ、その限界や問題点も指摘。「外的妥当性」に関係する批判は、身近の場面で聞くこともあるが、これに加え"HARKing"に関係する衝撃的な図が掲載される(p.20)。一方で、「Yとは独立にXを動かす要因のことを外生変動と呼び」(p.105)といった表現から、既に普段使いの「外生変数」という言葉とは異なる、より厳格な意味で「外生」という言葉が使用されていることを感じさせる。「RCTは(Xの外生的変動を演出するための)操作変数Zを設計すること」(p.147)というのは正にその通りで、操作変数と内生変数が弱相関となるケースはドメイン知識のない研究者がRCTを設計する場合に相当するとの表現も面白い*1。加えて、「質的な変数(バイナリ変数)の場合、適当な計量的方法が実証経済学者の道具箱にはなかったのである」(p.235)といった、かつての実証経済学の「後進性」に係わる記述もある。
 なお、「次世代の」と銘打つ上では、ベイズ統計学機械学習等と実証経済学の隣接分野について、もっと触れてもよかったのでは、と思う。

牧野百恵『ジェンダー格差 実証経済学は何を語るか』


 ジェンダー間比較に関する実証経済学の成果を広範にサーベイ。本年のノーベル経済学賞がクラウディア・ゴールディンの業績に対し与えられたことで、図らずも「時代の書」となった。内容は、いうまでもなく近年の実証経済学の興隆を反映し、因果推論のオンパレード。「婚資はランダムではなく個々の家庭で「内生的」に決まる」といった表現から「内生」という言葉の意図がわかる(「過剰識別」といった意味での「識別」とは、また別の角度からの識別の問題)。
 STEM分野への進出が女性で少ないことの原因について、統計的差別の問題が指摘されるが、これが欧米で殊更重要視されるのは、欧米ではSTEM分野とそれ以外の分野の給与格差が大きいことが背景、日本ではあまり当てはまらない、との指摘も。

アイケングリーン、エル=ガナイニー、エステベス、ミッチュナー(岡崎哲二監訳、月谷真紀訳)『国家の債務を擁護する 公的債務の世界史』

 原題は”In Defense of Public Debt”。2023年5月刊。戦争とその抑止、国家のインフラ整備、国民の社会福祉と、その目的を変えつつ増大し続ける国家の債務に関する系譜学。かつてイギリスのコルウィン委員会が債務整理の目的として、それによって将来の緊急時に債務の増発が可能になると主張したとき、ケインズは、「国内債務が多額か非常に多額かの違いは、目に見えるほどの差をもたらさない」と主張。本書では、コロナ禍を経て、さらにデッド・オーバーハングの危険性に関する理解が広がる中、公的債務には効用も存在することを主張*2
 公的債務の起源は、古代ギリシャ都市国家に遡る。また、中央銀行の嚆矢は15世紀末のイングランドに遡るが、米国の連邦準備制度が形成されたのは1913年。158頁以降では、各国債務のGDP比について、その変動の要因を基礎的財政収支プライマリーバランス)、g-r、ストック・フロー調整(為替レートの変化、キャピタルゲイン・ロス、債務再編など)にわけて分析する。

ジェイク・ローゼンフェルド(川添節子訳)『給料はあなたの価値なのか 賃金と経済にまつわる神話を解く』

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西野智彦『ドキュメント通貨失政 戦後最悪のインフレはなぜ起きたか』

 2022年12月刊。著者はかつて日銀、大蔵省などを担当したジャーナリスト。前著『ドキュメント日銀漂流』はブログにて取り上げた。

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1974年の狂乱物価の主因は、小宮隆太郎により、日本銀行の誤った金融政策によって過剰流動性が生じたためとされているが、その失敗に至る経緯を、1971年8月のニクソンショックに遡り当事者の史談録等をもとに検証。この時代、貿易不均衡の是正が求められる中、平価維持のため過剰な金融緩和とその後の物価高を甘受することになる。またその間、郵貯金利や田中内閣の予算編成との調整の難しさから時宜を逸した金利調節を強いられるなど、当時の制度上の問題が浮かび上がる。日銀の独立性とは何か、金融政策は何を主眼としどう運営されるべきか、改めて考えさせる。
 「将来を嘱望されたエコノミストたちが次々と離職している」という日銀の現状に関する最後の指摘は気になる。ジョン・コナリーの日本異質論、大蔵省内での柏木-鳩山論争、1ドル=360円を決定した過程でのヤング報告の記述、調整インフレ論、「奇妙な論争」とする鈴木-下村論争、その後の円高不況における円高恐怖心など。

䕃山宏『カール・シュミット ナチスと例外状況の政治学

 2020年6月刊。シュミットは、例外、友と敵、決断などの鍵概念により、政治秩序と国家権力を重視する思想を展開したドイツ・ワイマール期の政治思想家。国家間の対立が表面化する現代の国際政治の中で改めて評価されるべき、とも指摘される。シュミットは、決定は規範とは独立に意味を持つとし、「決定は規範に基づかなければならない」と考える純粋法学者ケルゼンらと対比される。ロックの時代、民主主義は議会主義や多数決など自由主義的枠組みに留まるが、政党間の利害対立が進むワイマール期のシュミットは、民主主義は独裁の思想とも結びつくとする。
 17・18世紀までの「有神論的で超越的な伝統的正統性概念」が衰退し、19世紀に「新しい民主主義的な正統性概念」が登場、主権者が「世界に内部化」されるとの政治神学のくだりからは、かつて読んだニューアカ的な図形表現を思い起こす。後期は、ラウム(領域)を鍵概念として、ウエストファリア条約以降のヨーロッパ公法と普遍主義に基づくヴェルサイユ体制との比較が論じられる。

斉藤純一、田中将人『ジョン・ロールズ 社会正義の探究者』

 2021年12月刊。本書は評伝の形式を取り、その生い立ち、思想の形成機から話が始まるが、主として、『正義論』と『政治的リベラリズム』が中心。『正義論』については、ルソーの社会契約論からの影響、そして新カント派的立場からの功利主義批判などが論じられ、特に福祉国家批判やケアの問題に関する記述などは注目点。後半は、包括的教説と公共的理性との関係が中心だが、貯蓄原理、定常状態(J・S・ミル)への言及なども考えさせるところ。

澤地久枝『密約 外務省機密漏洩事件』

 超絶面白い。「密約」の問題が、巧妙に、「知る権利」や特定秘密保護の必要性等の問題へとすり替えられていく。組織と個人の関係については、組織に忠実であることが必ずしも個人の利益にならない。こうした話題には既視感を覚える。
 本書に登場する女性事務官は、義憤によって行動したわけではない。社会的意義より、人間的繋がりの方に心情的な重みを置いたが、むしろそのことによって罪を被る。一方、「利用」しようと考えたのはメディアや野党も同じ。「義憤によるものではない」という一点において、ペンタゴン・ペーパーズの件とは異なる。このような構図、細部を探れば、この件に限らずある。結局、(誰かに言われてそうやった、という「未必の故意」を含め)自ら罪を認めてはダメなのであって、行動の背後にある何らかの意義を常に主張すべきなのだ。
・・・と書きつつ、最後のドンデン返しに驚愕。この女性事務官の組織内での立ち位置は概ね想像がつく。「この事件の真相を知っているのは私くらい」という田村弁護士の発言(p.263)は意味深。「〈知る権利〉という言葉とは比較にならぬ〈情を通じ〉のしたたかな実感」は、現在の報道の中にも同様のものを垣間見ることができる。

橋本五郎、尾山宏、北村滋『安倍晋三 回顧録

 2023年1月刊。同時代の書として上げておく。自分にとって土地勘のある出来事の描写もあるが、為政者の認識というのはまあその程度なのだろう、とは思った。

(番外編)飯塚信夫、加藤久和『EViewsによる経済予測とシミュレーション入門』

 2006年刊。EViewsのユーザーにとって、この上なく有用である一方、データサイエンス分野での様々な手法が広がる現在は読者を選ぶ。ルーカス批判以後、マクロ計量モデルをどう考えるべきかに関しては、前出、大塚他書の中にも言及がある。本書では「コールズ財団アプローチ」という表現が使われ、これに相対するものとしてカリブレーション・モデル、VARモデルに言及、統計的推定に基づくマクロ計量モデルの課題に言及しつつも、最後は以下のようにまとめる。

 マクロ計量モデルや時系列モデルと、こうしたカリブレーション・モデルは決して相容れないものではない。それぞれの特徴を生かし、相互補完的な役割を果たすことができる。(中略)本書を手に取った読者には、統計的なモデルと同時に、世代重複モデルなどについても関心を持っていただければと考える。

*1:この弱操作変数の問題は、末石直也『計量経済学』にしっかり触れられている(p.32)

*2:この辺りは、2番目に取り上げた本の関係部分の主張とは異なる。専門書においても、多くの研究者が共有する客観的・定型的事実と、著者の考えに基づく主張は切り分ける必要がある。