備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

グレン・グリーンウォルド(田口俊樹、濱野大道、武藤陽生訳)『暴露 スノーデンが私に託したファイル』

暴露:スノーデンが私に託したファイル

暴露:スノーデンが私に託したファイル

 事件や出来事の内幕に関するノンフィクション作品として、これまで、つぎのような書籍を取り上げてきた。

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  • 佐々木実『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』

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  • 牧久『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』

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 本書は、「公安国家アメリカ」に対する内部告発、いわゆる「スノーデン事件」をめぐるノンフィクション作品である。告発された対象という意味において、あるいは事件の社会性という意味においても、これまで取り上げた作品よりひと回り大きい。類書と比較しつつ、その主たる問題意識と特徴を個人的に整理するならば、①権力に対峙する大手マスメディアの姿勢、②暴露された文書の内容、後日談、③監視社会の害悪、といった項目になる。

大手マスメディアの姿勢

 本書はスノーデン事件を題材としつつも、かなりの分量を持って大手マスメディアや政治ジャーナリストに対する批判を行う。

 スノーデン文書による最初の記事「国家安全保障局NSA)が〈ベライゾン〉加入者の通信記録を収集」がガーディアンに掲載された後、反響は大きく、ホワイトハウスが行なった監視擁護のコメントに賛同する者は皆無に近かった。しかしその後、政治メディアはスノーデン及び著者に対し敵対的となり、ジャーナリストである著者を敢えて「ブロガー」と呼び、政府の秘密を発表したことを以て逮捕されるべき、との論調までもが作られる。
 こうした大手マスメディアの姿勢の背景について、一つには、国家の安全保障に関わる問題については常に権力の忠実な代弁者になる、という政府寄りメディアの人間が持つメンタリティがあり、また、メディアのスター記者たちは「複合企業体の雇われの身」となっていること、さらには、社会経済的要因があるとして、著者はつぎのように指摘する。

(中略)今日、アメリカで影響力を持つジャーナリストの多くが億万長者で”お目付役”という名目で政治家や財界のエリートらと同じ地域に住み、同じ仕事に出席し、同じサークルの仲間とつきあっている。そればかりか、彼らの子供たちはみな同じ私立のエリート校にかよっている。
 だから、ジャーナリストと政府職員は容易に職を交換できるようになっている。メディアの人間がワシントンの高位職に送り出される一方、政府の役人はメディアとの契約に走り、濡れ手に粟を狙っている。

 大手マスメディアは内部告発者に対するレッテル貼りの一翼を担うことにもなり、通常、「彼は”不誠実”で”うぶ”だった」というような常套句が用いられる。スノーデン事件においても「メディアの多くが愚かでレヴェルの低い”IT青年”像に彼をあてはめようとした」とのことであり、オバマ大統領も記者会見で「29歳のハッカーを捕まえるためにジェット機を緊急発進させたりはしない」と語ったことが伝えられている*1。著者のグリーンウォルドに対しても、孤独を好み友人関係を築くのに問題がある、あるいは社会不適応者、といったレッテル貼りを行なったという。
 こうした戦略は本件に限らず一般的に用いられるやり口で、読者の「自分の信じたいことを信じる」傾向を有効に活かし、陰に陽に、見る者に対する印象操作を行う。一時的にしろマスコミの寵児となる者への根拠のない不信感、あるいは自分でも気づくことのない隠れた嫉妬心等が、見る者の心の目を曇らせるのだと考えられる。

暴露された文書の内容と後日談

 本書には、実際に暴露された文書の一部が紹介されている。ベライゾン社に対する通話記録(メタデータ)の提出命令の場合もそうであるが、著者によれば、NSAの大量収集プログラムが目指すのは、世界中の電子通信プライヴァシーを完全に取り除き、電子通信の全てを収集・保管・監視・分析できるようにすることだという。このことは、スノーデンが理想とするインターネット空間のプライヴァシーの保護、それによって保証される自由な情報の交換とは相反する。そのNSAを長官として指揮したのが陸軍大将キース・B・アレキサンダーであり、オバマ政権も(当初の公約に反し)NSAの取り組みを積極的に支援し、国家安全保障問題担当補佐官は、幾度となくNSAにスパイ行為を要請したという。
 GAFA等の大手IT企業が協力したPRISMによる情報収集は、これまでも広く報道されている。加えて、対象ユーザーのパソコンに直接マルウェアを侵入させ監視下に置く、という手法も取られたことが暴露された文書の中で指摘されている。現在、「米中対立」といわれる中、ファーウェイ社の製品に「バックドアが仕込まれている」といった報道が積極的に行われるが、要するに、こうした行為はファーウェイ社や中国政府に限らず、むしろ一般的で、そうした行為が行われていることを前提に我々はインターネットと向き合わねばならない、ということである。
 なお、NSAの国際的な協力関係という意味では、日本は「限定的協力国」と位置付けられており、日本政府がいかにアメリカ政府と対峙したのかに関し、著者のサイトで新たな記事が公開されている*2。また、NSA保有するシステムであるXKeyscoreは、eメール、閲覧履歴、検索履歴、チャットのデータを収集・管理・検索するためのもので、NSAの分析官は誰でも検索可能であり、同記事では、日本の諜報信号本部に同システム一式を提供したとされている。

 さらには後日談として、リオに住む著者のパートナー(ディヴィッド)のPCが、著者とスカイプで通話した後、48時間以内に盗難にあったこと、イギリス政府通信本部GCHQ)がガーディアンに対し文書一式のコピーを引き渡すよう要求し、それに応じないと、GCHQ立ち合いの下でハードディスクドライブを破壊することになったこと、著者のパートナーに対するヒースロー空港での根拠のない拘束等が語られている。
 特に、最後の拘束の件は権力の濫用であり、ブラジルでも大きく報道されたとのことであるが、告発者に協力する者への無言の圧力であろうとのことである。さらに以下のようなことまでが書かれている。

 デイヴィッドは、アメリカとイギリスがテロとの戦いという名目を隠れ蓑にして、過去10年のあいだに何をしてきたのか、ずっと考えていた。「彼らは人々を連行し、罪状もなしに、弁護士もつけずに投獄し、グアンタナモの収容キャンプ送りにして、世間の眼が届かないところで処刑している。アメリカとイギリスの政府から”おまえはテロリストだ”と告げられるほど恐ろしいこともない」。これはほとんどのアメリカ人とイギリス人が夢にも思わないことだろう。

監視社会

 本書は、スノーデン事件の実際と暴露された文書の内容を書くと同時に、監視社会がもたらす問題について、オーウェルの『1984年』、ベンサムの「パノプティコン」、フーコーの『権力』、『監獄の誕生』などを引き合いに出しつつ丁寧に論じる。
 ベンサムの生み出した概念である「パノプティコン」は、監視対象となる人間に、常に自分が監視されているように感じさせ、服従、盲従、予定調和を生み出すことを目的とする。自由の制限を受けつつも、功利主義的な政府によって管理される安心・安全な社会といえる。またフーコーによれば、「ユビキタス監視は監視機関に権力を付与し、人々に服従を強制するだけでなく、個人の内に監視人を生み出す効果がある」、すなわち人々は無意識に「内なる管理者」を胸中に持ち、監視人が望むとおりの行動を取るよう管理される。
 加えて本書では、進化心理学に基づく実験による実証結果も複数紹介され、監視の持つ萎縮効果が現実に存在し得ることを、説得力ある形で説明されている。なお個人的に興味を持ったのは、行動経済学の知見を基に「ナッジ」の効果を提唱したキャス・サンスティーンが、「”どこにも属していない”と偽った協力者とスパイから成るチームを組織し、オンラインのグループやチャットルーム、SNS、ウェブサイト、オフラインの活動家グループに潜入するという手法を政府に提唱」したとのくだりである。「ナッジ」の概念自体、緩い形での功利主義的政策運用を可能にするものであり、サンスティーンがそのような提唱を行うこと自体、不思議なことではない。「ナッジ」を含む行動経済学的知見を踏まえた政策研究は、いまでは日本を含め世界的なムーヴメントである*3
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 一方、スノーデンの理想はこれとは正反対であり、インターネット、あるいは敢えて敷衍して考えれば、社会全体におけるプライヴァシーの確保と自由、ということになろう。この対立軸は数百年続くもので、このような大きな対立軸がスノーデン事件という一つのポイントに集約され、議論を呼ぶことになったともいえる。
 スノーデンが最も恐れたのは、「暴露が無関心と無感情に迎えられるのではないか」ということであったとのことだが、このような大きな対立軸を中心に据えてみれば、当初から、そうした恐れはなかったのかも知れない。実際、報道に対する反響は凄まじく、政府の中からも、議員が団結してNSAの計画への予算取り消しを求める法案を提出するような動きも現れた。9.11以来の行き過ぎた安全保障政策への安易な盲従が、この事件をきっかけに反転したのだとすれば、危険を賭した行為にも十分に大きなな価値があったといえるだろう。

*1:https://www.cnn.co.jp/usa/35033993.html

*2:https://cruel.org/books/arthurking/japan-intercept.html

*3:以前にも書いたことだが、情報テクノロジーをより身近なものとして感じている世代の技術者や企業家には、功利主義的で強権的な統治の仕組みに、あまり抵抗感を感じない者が多いように思われる。いまの時代、「新自由主義」といった言葉は、むしろ古臭さを感じさせるもので、不機嫌な中高年世代が唱えるマントラのようでもある。