ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ジェフリー・ケイン(濱野大道訳)『AI監獄 ウイグル』

 原題は”The Perfect Police State”で2021年刊。邦訳は2022年1月刊。新疆ウイグル自治区といえば、幼少期にNHK特集『シルクロード』を見、さまよえる湖ロプノールなどに思いを馳せ、高校時代の社会科教諭が新婚旅行でタクラマカン砂漠に行ったことが当時、話題となったことなど、個人の印象としては、古い記憶のままの砂漠のオアシスである。本書は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を起点として始まる中国共産党政権による国家統制、特に2010年代に情報通信技術を利用し進化した監視社会の実態を取り上げる。


 情報テクノロジーを利用した監視社会に関することとしては、以前のエントリーでつぎのように記載した。

情報テクノロジーの進化がもたらす「ビッグブラザー」的な存在も、程度の差はあれ、これまでも存在していた。犯罪の抑制や個人の健康管理のため等、一定レベルで個人情報を管理し功利主義的な行政運営を行うことは、どの国でも行われている。中国モデルの問題は、情報テクノロジーを用いた功利主義的な国家運営にあるのではなく、政治の自由を拒否し国民に選択の自由がない点に帰すべきものなのではないか。むしろ、テロや災害、感染症の蔓延等が大衆の深層心理に恐怖を植え付け、功利主義的な行政への願望を引き出すのであれば、一概にそれを否定できるわけではない。情報テクノロジーをより身近なものとして感じている世代の技術者や企業家には、中国モデルが持つ強権的な統治の仕組みに、むしろ「憧れ」感じる者も多いように思われる。

traindusoir.hatenablog.jp

 著者はジャーナリストであり、帰省中に再教育施設に収容された留学生、テクノロジー企業においてシステム開発に関わった技術者など、何十人もの人々のインタビューを通じ、新疆ウイグル自治区において、いま何が起きているのかを明らかにしようとする。そこに見てとれるのは、上記の文章を書いた際にイメージした功利主義をはるかに超え、根拠が示されないまま個人が格付けされ、警察権力により管理されるディストピアである。
 地域自警システムにより地域の誰もが信頼できなくなり、コミュニティが壊される。自宅の居間に監視カメラが設置され、家族間の自由な会話ですら捕捉される。生体情報を含む個人情報がデータベース化され、格付けされ、テロを未然に防ぐための予測的取り締まりにより、何の前触れもなく再教育施設へ収監される。監視カメラの映像はAIによって解析され、あらゆる行動が捕捉される--こうした仕組みを作るためには、情報テクノロジー企業の協力が必要であった。(中国人留学生などもよく利用する)We Chatを運営するテンセント、AIを専門とするメグビー、センスタイム、また国家を象徴する企業であるファーウェイなどが、そうした協力企業の中に含まれる。これら企業と国家との協力関係は、米中貿易戦争の中で、しだいに明らかになったものである。本書では、共産党はいずれ海外でも国内と同じように振る舞うようになるとの中国の専門家の意見を取り上げている。

 このようなパノプティコン的国家統制は、確かに、中国の「政治の自由を拒否し国民に選択の自由がない」点、あるいは(分派行動を認めない)民主集中制のような共産主義の原理に帰すことのできる問題である。少なくとも自由で民主的な政治体制の下で、基本的な人権意識と乖離した、このような監視の仕組みが構築されるとは考えにくい。
 一方で、スマートシティなど犯罪を抑制するシステムは、中国国内では必ずしも批判されておらず、むしろ好意的に受け取られているともいわれる*1。また、データを用いた警察の監視は、米国でも行われている*2。さらにいえば、所得格差や、それに起因する教育格差などは、主観的幸福度を低める方向へと作用する。人々の幸福のため、個人の所得を厳格に把握し税制や社会保障によって結果の平等を促進する功利主義的な政治は、自由主義諸国においても、積極的に受け入れられるようになる可能性は否定できない。
 GAFAなどが提供する無料のサービスにすっかり馴染んだ若い世代では、コロナ禍での議論にもみられるように、情報通信技術を用いた個人の補足には、あまり抵抗感がないようにもみえる。本書は、情報テクノロジーによる監視社会がもたらすカフカ的状況を世に訴えるものであるが、それを受け取る自由主義社会においても、自由と平等、自由主義功利主義のせめぎ合いが今後も続くように感じられる。