備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

シン=トゥン・ヤウ、スティーブ・ネイディス(久村典子訳)『宇宙の隠れた形を解き明かした数学者 カラビ予想からポワンカレ予想まで』

 微分幾何学者で数理物理の世界に大きな名を残す数学者シン=トゥン・ヤウの自伝。原題は”The Shape of a Life One mathematician’s search for the universe’s hidden geometry”。全体がヤウの一人称で書かれており、もう一人の著者であるネイディスの役割は、よくわからない。
 客家の出であるという著者の出自から、父を早く亡くし、極貧の中にあっても教育に重きを置く家庭環境に支えられ、20歳でUCバークレーに進学する、といったところから本書の物語は始まる*1。著者の名は、超弦理論のブームもあり、カラビ予想の解決、カラビ=ヤウ多様体の発見といったところからよく知られているように思うが、それだけではなく、多くの分野にわたる実績があり、若手研究者への教育・共同研究でも極めて活動的に仕事をしてきたことがわかる。
 数学の内容に関しては、(素人の読者にも概ね理解できる範囲で)わかりやすく触れられる。ただし、読後感として残るのは、(著者にとって最も重要であろう)数学の話題ではなく、特に中国人研究者との確執や、中国社会や学会に対する批判的視座である。中には、著者の師であり(自身、微分幾何学の「チャーン類」などに名を残す)陳省身や、著者の指導した田剛との確執も現れる。陳との関係については、中国人若手数学者の間にも話が広まり、陳の「自称支持者」たちが著者が行ったと思われる「悪いこと」を陳に電話をし聞き出そうとしたり、中国から派遣された研究者が著者らの講義ノートをまとめることができず、それを棚に上げて著者を批判する報告を本国に送った話などが出てくる。しかし(考えてみれば当然のことであるが)、何らか確執があるにしても、陳と著者、あるいは本国の研究機関と著者の間にはしばしばやりとりがあるわけで、ある種、微笑ましい話でもある。
 田については、中国本国の研究者の報酬が著しく低い中、「中国としては天文学的な12万5千ドルの報酬を与える『百万元の教授職』」に就いたことに批判的で、そのことに触れた雑誌『ニューヨーカー』の記事にあった、田を「ヤウの最も成功した教え子」とする表現をキッパリと否定する。この種の行為を可能にした中国の施策にも批判的で、(最近、日本でも話題になった)「千人計画」に関しては、つぎのように記載する。

(中略)何十億ドルもかけて有名な学者たちをアメリカその他西洋諸国からスカウトして、国内の大学を増強する計画だった。しかし中国がその計画で得たものは多くなかった。訪問して報酬を受け取りながら、多くの時間とエネルギーを中国に捧げない学者が多すぎた。実際、その制度は悪用のし放題だった。同じ年に中国で三つの職を持ち、アメリカにも常勤の職を持っていた研究者がいた。それに比べて、現地の中国人教授の俸給は微々たるものだった[p.388]。

 こうした著者と他の研究者との確執はそこかしこに現れるのだが、それは何にもまして数学の業績に重きを置く一方、人間関係の機微に関わる話題でもさほど意識することなく言葉や文章にしてしまう著者の性格にも依るところがありそうである。例えば、小平邦彦の義理の息子となった研究者について、「そうしなければ偉大な先生に対して無礼だと思ったからだ」と、その友人の「日本人の数学者数人」と話をしたことが、何気もなく書かれている[p.126]。

 中国の学生について、著者は「良い職を得るのに熱心だが数学その者にはそれほど熱意がなさそう」な者をよく見るとし、その理由については、「教材を丸暗記させて生気を吸い取りかねない中国の教育制度の予期せぬ結果ではないか」という。中国の中高生世代は、国際数学オリンピックでは極めて高い実績を長年、上げ続けており、アメリカや欧州、オセアニアの代表の中にも中国系の生徒は多かったりするのだが、著者は、むしろそうした問題を解くことを競わせるのではなく、真の研究を経験できるよう手を差し伸べることに力を尽くそうとする。

traindusoir.hatenablog.jp

 また、著者がUCバークレーに留学後、初めて中国を訪れた際の話として、「親類を重要視しすぎ期待しすぎる中国文化に困惑した」ことが書かれている。子息を米国留学させるため口利きを依頼された話などは、かつての日本の地方などでもあり得る話で、アジアの「古き良き」ウェットな文化という風にも感じられる。

ポワンカレ予想

 このような(数学の本筋を離れた)研究者間の確執に係る話題としては、ポワンカレ予想をめぐるグレゴリー・ペレルマンとの関係は避けて通れないものだろう。例えばマーシャ・ガッセン『完全なる証明』によれば、著者(ヤウ)はペレルマンの証明に致命的欠陥が含まれる可能性があることを指摘し、その一方で、自身が指導する二人の数学者、曹懐東、朱熹平にペレルマンの証明の詳細に関する論文を書かせ、通常の査読のプロセスを省略して専門誌に掲載したとされる。また、二人の数学者は、ポワンカレ予想の証明の詰めは自分たちが行ったのであり、賞金は当然自分たちのものであると主張したとも書かれている。同書では、ペレルマンがクレイ研究所の賞金及びフィールズ賞の授与を拒否し、数学を離れ、孤独に生きることとなった過程の中に、この事実が含まれることを仄めかしている。

 この話が大きくなったきっかけは、雑誌『ニューヨーカー』に掲載されたシルビア・ナサー(『ビューティフルマインド』の作者)とデビッド・グルーバーの記事であるが、本書には、二人の取材を受けた際の状況についても記載されている。それによると、ナサーと著者との会話は和やかなもので、彼女がひも理論の会議に出席し、何人かの数学者・物理学者に取材できるよう中国行きの手配を手伝いまでしたが、彼女の本心は記事を見るまで知ることがなかった、とのことである。
 また、ペレルマンの業績については、ポワンカレ予想に関わりなくフィールズ賞に値するものである、との評価を示しており、曹・朱論文を自分が査読することとなった理由を述べるとともに、論文中で先行研究について触れずに数ページにわたる引用を行なったことについて一部過失があったとも認めている。しかしながら、ポワンカレ予想に関しては、著者は「異説かもしれないが、私は証明が確定したとは確信していない」と述べる。この点に関しては、(「ニューヨーカー」記事の作者が考えたように)業績の横取りを意図したものではなく、純粋に数学面からの認識に基づく発言であるように感じられる。

 何れにしても、ペレルマンがクレイ研究所の賞金及びフィールズ賞の授与を拒否することとなった理由は、自身の業績が拠って建つ基礎を創り上げたリチャード・ハミルトンの業績への「気兼ね」、あるいは、むしろ自分よりもそれを受け取るべき人間が他にいる、という事実によるものと思われる。そしてその後、彼が世捨て人のように生きることとなり、結果としてその才能を無駄にしてしまったことの最大の責任は、その数学をまともに理解せずスキャンダルを創り上げたナサー、ガッセン他のジャーナリストやマスメディアにある、と強く感じる。このように、ひねもすスキャンダルを作りたがるマスメディアの習性は、現日本のマスメディアの報道姿勢にも相通じるものがある。

*1:こうした記述を読むと、改めて中国は多民族国家であることを認識する。

真の失業率──2020年9月までのデータによる更新

 完全失業率によって雇用情勢を判断する場合、不況時に就業意欲を喪失し労働市場から退出する者が発生することで完全失業率が低下し、雇用情勢の悪化を過小評価することがある。この効果(就業意欲喪失効果)を補正し、完全失業率とは異なる方法で推計した「真の失業率」を最新のデータを加えて更新した。

※ 真の失業率のグラフは、後方12カ月移動平均から季節調整値に変更

 9月の結果をみると、完全失業率(季節調整値)は3.0%と前月と同水準となったが、真の失業率は3.2%と前月(3.1%)より0.1ポイント上昇した*1

 休業者の動きをみると、9月は休業者(前年比)の増加幅がやや拡大した。*2

 所定内給与と消費者物価の相関に関する8月までの結果は以下のようになる。今回、賃金・物価の減少幅は大きく、ともに下落の方向となる。

(注)本稿推計の季節調整法を、2020年1月分から変更*3した。

*1:4月は、季節調整のための事前調整モデルを推計する際、AICテストの結果レベルシフトが検出されている。

*2:月末1週間の就業時間別にみた当該データは、即位の日を含むゴールデンウィークに重なる昨年4月等、祝日の変化による前年差への影響が大きい。

*3:X-12-ARIMAからX-13-ARIMA-SEATSに変更し、曜日効果、異常値はAICテストにより自動検出(モデルは自動設定)とした。

トーマス・カリアー(小坂恵理訳)『ノーベル賞で読む現代経済学』

 1969年に最初のノーベル経済学賞アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)を受賞したフリッシュ、ティンバーゲンから、2009年に受賞したウィリアムソン、オストロムまで、計64名の受賞者の業績と人物像を、著者なりに整理されたテーマ別にまとめている。原題は"Intellectual Capital: Forty years of the Novel Prize in Economics"。文庫版解説では、2010年から2019年までの計20名の受賞者の業績についても簡単に触れられており、この一冊で、現代経済学の大宗を俯瞰することができる。
 本書の特徴について触れると、類書にみられる時系列的配置ではなく、テーマ別の整理となっている。また著者自身の見解もふんだんに記載されており、文庫版解説に記載されているように、「自由主義者ミクロ経済学者、金融経済学者、新しい古典派のマクロ経済学者、ゲーム理論家、計量経済学者たちに対して、かなり批判的な態度が見られる」一方で、「行動経済学GDPなどの国民経済計算等の発明、経済史、制度の経済学などに対しては、比較的優しめ」の記述となっている。特にシカゴ派の経済学者については厳しく、一方で、ガルブレイス、ロビンソンについては、ノーベル財団はこれらの功績を何らかの形で評価すべきだとする。
 著者自身の考えは、人々にとって重要なトピックや現実的な価値を持つ研究を認めるべき、というもので、一理あると思われる一方、数学者や統計学者を選ぶべきではない、というのはやや行き過ぎではないかとも感じる。(であれば、心理学者のカーネマンについてはどう考えるべきか。)

ハイエクフリードマン

 本書の中では、ともに自由市場主義者に分類されるハイエクフリードマンであるが、この二人のマクロ経済政策に対する見解の違いについてもまた、詳しく記載される。

 そもそもハイエクのほうでも、シカゴ大学経済学部をそれほど高く評価しているわけではなかった。たしかにハイエクフリードマンは多くの見解を共有している。しかし、経済理論に対するフリードマンの大きな貢献、すなわち実証主義マネタリズムのふたつをハイエクは槍玉にあげ、経済のあらゆる現象に関して原因と結果を単純に考えすぎるあまりあやまちが繰り返されていると批判した。それでもお世辞を言うだけの余裕はあって、フリードマンの文章は簡潔でわかりやすいと持ち上げているが(間違いなく皮肉である)、その一方フリードマンの『実証経済学の方法と展開』に対し公式に批評しなかったことを後悔していた。ハイエクにとってこの著作は、「ケインズの『貨幣論』と同程度に危険なもの」に映ったのである。[pp. 48-49]

 リバタリアンの哲学を自由市場への情熱と融合させることは、ハイエクにとってもフリードマンにとっても難しくなかった。どちらも小さな政府を目指すからだ。しかし、リバタリアンの哲学を科学的客観性と結びつける難しい。たとえば、市場調査の結果がリバタリアンとしての価値観と矛盾するときにはどうすればよいか。科学的客観性とリバタリアンの原理のどちらを優先させればよいのか。この根本的な問題に対し、ハイエクフリードマンの回答は異なっていた。恐らくフリードマンよりも哲学者として優秀なハイエクは、経済学で科学的客観性を守ろうとしても時間の無駄だとしてジレンマを解消した。市場は規制されないほうがよいと信じていればそれで十分とし、科学的な正当化が必要だなどと思わないように諭した。経済データに埋め込まれている真実は、経済学者には簡単に発見できないとハイエクは信じていた。経済学賞受賞者としては興味深い発想である。
 しかしフリードマンのほうは、それほど簡単に科学への情熱を放棄しなかった。何しろ彼は、経済学は客観的にも科学的にもなり得る学問であり、政治や個人的偏見に影響されないとする"実証経済学"で有名になった人物である。フリードマンは、科学的研究と政治・思想上の立場とは切り離せると主張した。科学の「帽子」をかぶっているときには、考案した理論をデータにもとづいて客観的にテストすることが可能であり、フリードマンはこれを実証主義と呼んだ。一方、政治の帽子をかぶっているときには、必ずしも科学的とはいえない政治的な見解であっても自由に表現することが許され、これを"規範主義"と呼んだ。科学者フリードマンと政策提言者フリードマンとの間に一貫性がなくてもかまわない。前者は科学を追究し、後者は見解を述べる。クローゼットにふたつの帽子が用意されていれば、客観的な科学者とリバタリアンの間に矛盾は存在しないと言うのが彼の言い分だった。[pp. 63-64]

 ハイエクフリードマンの違いについては、本書の視点とはやや異なる(実証主義よりもマネタリズムの方に関係する)が、稲葉振一郎新自由主義の妖怪 資本主義史論の試み』の中でも指摘されている。同書では、フリードマンが管理通貨制度の支持者でありマクロ金融政策に積極的な立場をとるのに対し、ハイエクはそのような立場をとらず、むしろ金本位制への復帰を志向していたきらいもある、と指摘する。

「新自由主義」の妖怪――資本主義史論の試み

「新自由主義」の妖怪――資本主義史論の試み

  • 作者:稲葉 振一郎
  • 発売日: 2018/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

指向と趣向

 過去十数年のノーベル経済学賞の受賞理由には、一定の指向性があるようにもみえる。2007年の受賞理由はメカニズムデザイン論であるが、その後、特に2010年、2012年、2020年辺りに共通し、「市場を創る」視点からの研究が受賞理由となっているように感じる。また、2017年は行動経済学であるが、近年は実際の政策にもその研究成果は取り入れられており、2019年は貧困政策を因果推論により評価するもので、やはり実際の政策に新たな視点を持ち込む研究である。

 なお個人的に今後の動向に関心を持つのは、脳科学とも関連する神経経済学の分野である。また本書で取り上げられた受賞者の中では、シェリングの研究に興味を持つ。さらに「この中で好きな経済学者は誰か」と問われれば、恐らく「アローの不可能性定理」で知られるケネス・アローを上げる。

適応的期待によるフィリップスカーブの妥当性

 KaggleのNotebookにおいて、物価水準が安定した長期均衡状態における完全失業率である「インフレを加速させない失業率」(NAIRU)を推定した。

※ 可変NAIRUの収束性が高まることから、時系列データを四半期に改めました。推計結果に大きな違いは生じません。(10/22/2020)

www.kaggle.com

推定は、以下に示す非線型の期待修正フィリップスカーブによった。モデルの期待インフレ率は、適応的期待(過去のインフレ率)とした。
 
\begin{align*}
\pi_t = \sum_{i=1}^N \alpha_i \cdot \pi_{t-i} + \gamma \cdot \frac{u_t - u^*}{u_t} + \sum_{i=0}^N \beta_i \cdot ps_{t-i} \hspace{15pt} (\sum_{i=1}^N \alpha_i \fallingdotseq 1)
\end{align*}

ただし、 \pi_t  t期のインフレ率(消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)の増減率)、  u_t  t期の完全失業率  u^*はNAIRU、  ps_t  t期の価格ショック(輸入物価指数の国内企業物価指数に対する比)である。

 結果の詳細はリンク先のNotebookを参照されたいが、結果は、つぎのようにまとめられる。

  • 推計期間の1980年~2020年においてNAIRUは変化しないと仮定した推定値である固定NAIRUの値は、概ね3.70%。
  • 推計期間においてNAIRUは確率過程(ランダムウォーク)に従い変動すると仮定した推定値である可変NAIRUの値は、概ね3〜4%程度で推計期間中に変動*1

しかしながら完全失業率は1980年頃や1990年代初頭には2%程度まで低下しており、固定NAIRUの推計値は、完全雇用が達成された状態における失業率という自然失業率の定義からは、かけ離れた高い水準となる。可変NAIRUについても、期首(無情報事前分布から推定)において実態からかけ離れた高い水準となるほか、足許の2020年は3%を下回るものの現実の完全失業率より高くなる。

 このように推定値は必ずしも現実のデータに適合しないが、その理由として、つぎの点が考えられる*2

  • リンク先のNotebookにも指摘したが、期待修正フィリップスカーブのモデル選択には恣意性がある。本稿では、インフレ率と完全失業率が反比例となる非線形の期待修正フィリップスカーブを用いているが、現実のデータは、完全失業率が2%台前半のところでカーブの曲率がより大きい可能性を示している。このようなモデルの不適合性が推定値を歪めた可能性がある。
  • 固定NAIRUについては、「推計期間に変化しない」という仮定が強すぎる可能性がある。可変NAIRUでは、一部のパラメーターが適切に収束していない。
  • 「1980年代のインフレ率の急速な低下は、金融政策の転換により長期インフレ期待が変化したことに伴うもの」で、「フィリップスカーブはごくわずかにしかフラット化していない」とする米国のデータによる分析がある。この場合、期待修正フィリップスカーブにおいて、適応的期待にもとづく期待インフレ率を用いることは適当ではない。

www.nikkei.com

実際、推定に用いたデータをもとに日本のフィリップスカーブをみると、リーマンショック後の2010年以降、完全失業率が低下しだいに低下する中インフレ率は緩やかな上下を繰り返し、長期的にみれば、ほぼ水平となる。

 一方、賃金と物価には一定の相関性があることから、この仮説に従えば、完全失業率が低下しても賃金は上昇しないことになる。

 完全失業率が低下する中、日本の賃金が上昇しなかったのは、09/25/2020付けエントリーにも書いたとおり、高齢者や女性の就業意欲が高まったため労働供給が増え、労働市場がタイト化しなかったためである*3労働市場がタイト化すれば、インフレ率も上昇した可能性はあるのではないか。
traindusoir.hatenablog.jp

 現在、機械学習の活用等が一般化する中、SNSの投稿数やPOSデータ、衛星写真など、公的統計等とは異なるオルタナティブデータの活用が進んでいる。日本のフィリップスカーブや長期インフレ期待の影響について同様の分析を行うためには、こうしたデータを縦横に活用することで擬似的なパネルデータを生成する等、新たな分析手法を取り入れることが必要である。また分析手法が変われば、新しい理論が生まれる可能性もある。上に引用した記事は東京大学における講演をもとにしたものであるが、講演の資料には、分析にあたって州レベルのインフレーション指数を遡及して作成したことが記されている。

 記事の最後では、つぎのように締められている*4

 高すぎる(または低すぎる)インフレに対して、政策当局は短期的な政策に頼るのではなく、長期インフレ期待を変えることをめざすべきだ。それがいかに困難でも取り組まなければならない。


(追記)
 上述の日経記事および東大講演に関するワーキングペーパーが公表されたことについて、himaginary's diaryで紹介されている。

himaginary.hatenablog.com

*1:推定結果に複数の警告メッセージがある。

*2:この他、推定方法の全体にわたって改善すべき点はあり得る。

*3:専門家の中には、その要因を、企業レベルの賃金交渉において「賃金の上方硬直性」があったため、とする指摘もある。

*4:一方、日本の金融政策の関係者が著した本には、「30年にわたる経済の停滞と、それに対して的確な対処が出来なかった一つの理由は、日本経済の急速な構造変化を経済統計が的確に捉えていなかったことだ」などと記されており、言い訳じみている。

真の失業率──2020年8月までのデータによる更新

 完全失業率によって雇用情勢を判断する場合、不況時に就業意欲を喪失し労働市場から退出する者が発生することで完全失業率が低下し、雇用情勢の悪化を過小評価することがある。この効果(就業意欲喪失効果)を補正し、完全失業率とは異なる方法で推計した「真の失業率」を最新のデータを加えて更新した。

※ 真の失業率のグラフは、後方12カ月移動平均から季節調整値に変更

 8月の結果をみると、完全失業率(季節調整値)は3.0%と前月より0.1ポイント上昇したが、真の失業率は3.1%と前月(3.2%)より0.1ポイント低下した*1

 非自発的失業者は前年差で増加(7カ月連続)、非正規雇用の減少・正規雇用の増加傾向も継続している。完全失業者数は、主に(離職失業者ではない)新たな求職者により増加しており、非労働力人口からの流入が増加していると考えられる。このことは、足許における真の失業率の低下と平仄が合っている。

 このところ話題となっている休業者の動きをみると、4月の前年差にみられた拡大幅は、引き続きしだいに縮小している。*2

 所定内給与と消費者物価の相関に関する7月までの結果は以下のようになる。賃金・物価には一時的な減少傾向がみられたが、再び増加方向へ転じている。

 なお、新型コロナウイルスの蔓延によりパート労働者が減少、その構成比が低下している。パート労働者の構成比の低下は、相対的に賃金が高い一般労働者の構成比を高めることで、一人当たり賃金を引上げる効果を持つ。前年比でみた場合、足許で賃金は増加しているが、その効果によるところが大きく、一般労働者の所定内給与*3は4月以降、減少している。

(注)本稿推計の季節調整法を、2020年1月分から変更*4した。

(真の失業率のデータ(CSV)が必要な方はこちらへ)
https://www.dropbox.com/s/6cm8flun7au7lhb/nbu_ts.csv?dl=0

*1:4月は、季節調整のための事前調整モデルを推計する際、AICテストの結果レベルシフトが検出されている。

*2:月末1週間の就業時間別にみた当該データは、即位の日を含むゴールデンウィークに重なる昨年4月等、祝日の変化による前年差への影響が大きい。

*3:規模30人以上の前年比。

*4:X-12-ARIMAからX-13-ARIMA-SEATSに変更し、曜日効果、異常値はAICテストにより自動検出(モデルは自動設定)とした。

労働分配率の上昇要因と賃金が抑制された理由

(前エントリー)

  • 一人当たり名目賃金はなぜ力強さにかけるのか?

traindusoir.hatenablog.jp

 前エントリーでは、足許、物価(GDPデフレーター)が停滞し労働生産性も伸びないため、賃金(一人当たり名目雇用者報酬)の伸びには力強さが欠けており、企業にとって労働コストは相対的に低く、生産要素間の代替効果で雇用は伸び労働分配率は上昇している可能性を指摘した。
 本稿では、先ず、近年の労働分配率の傾向を確認する。また労働分配率は、一人当たり名目雇用者報酬と就業者数、(分母として)GDPデフレーターと実質GDPに分解できるため、労働分配率の前年比(近似値としての対数階差)に対するこれらの寄与度を確認する。
 つぎに就業者数の前年比に対する労働力率の影響度を確認し、性・年齢階級別の労働力率(前年差)に対する寄与度をみることとする。結論としては、労働力率の上昇は見かけ以上に大きく、性・年齢階級別にみた場合、労働力率の上昇に最も貢献したのは高齢者と女性であることがわかった。
 最後に、労働生産性が高まることで賃金も増加する好循環を得る上で、労働市場のタイト化が必須であることを指摘する。

労働分配率の前年比と寄与度

 前エントリーでは、賃金(一人当たり名目雇用者報酬)の前年比に対する寄与度として労働分配率の影響を確認したが、そこでも指摘したとおり、実際の因果関係としては、賃金が増加することで労働分配率は上昇するものと考えられる。 t期の労働分配率  ldst_tは、賃金  pw_t、就業者数  L_tGDPデフレーター \bar{P}_t、実質GDP   GDP_tを構成要素とし、以下のように分解される。

 
\begin{align}
ldst_t = \frac{pw_t \cdot L_t}{\bar{P}_t \cdot GDP_t}
\end{align}

今回の分析では、上式を基に労働分配率の対数階差をとり、対数階差に対する各構成要素の寄与度をみる。なお、対数関数は正数を定義域とする単調増加関数であり、その階差は以下の近似式から「前年比の近似値」として扱える。

 
\begin{align*}
\frac{x_t - x_{t-1}}{x_{t-1}} \fallingdotseq \log_e x_t - \log_e x_{t-1}
\end{align*}

労働分配率の対数階差をとると、(1)式より下式が導かれ、下式の右辺の項は、それぞれ賃金、就業者数、GDPデフレーター、実質GDPの寄与度とみなすことができる*1

 
\begin{align*}
\log_e ldst_t - \log_e ldst_{t-1} &= \log_e pw_t - \log_e pw_{t-1} \\
                                  &+ \log_e L_t - \log_e L_{t-1} \\
                                  &- (\log_e \bar{P}_t - \log_e \bar{P}_{t-1}) \\
                                  &- (\log_e GDP_t - \log_e GDP_{t-1})
\end{align*}

寄与度をみる前に、先ずは労働分配率の水準の推移を確認する。

2011年基準による最新のSNA統計は1994年以降となるため、それ以前の数値は1995年基準によるもので単純比較はできない。1994年以降でみると、前エントリーでユニットレーバーコスト(ULC)の調整期とした期間は労働分配率の低下局面でもあり、安定期に入ると労働分配率は上昇を始める。これが2011年頃から再び低下し始め、2015年を底にその後は上昇し、足元では(1994年以降でみて)最も高くなる。

 つぎに、対数階差による寄与度を確認する。

労働分配率の傾向に関し一般に指摘されるのは、

  • 景気後退局面では、賃金が下方硬直的である一方、実質GDPが抑制されるため、労働分配率は上昇する
  • 景気拡張局面では、賃金よりも実質GDPの増加率が大きく、労働分配率は低下する

というものである。しかし本稿の分析で労働分配率が明確な低下傾向を示すのは、①前エントリーで定義した調整期と、②政権交代を挟む2011年から2015年にかけての時期である。ただし労働分配率低下の理由は異なっており、①では賃金・雇用の水準調整が労働分配率の低下をもたらしている一方、②では物価(GDPデフレーター)ないし実質GDPが伸びたことが労働分配率低下の理由となっており、デフレ脱却と景気拡張による労働分配率の低下であると解釈できる。加えて調整期から安定期にかけてのデフレ期は、物価の低下が労働分配率を下支えしている。

 またデフレ期に入る前の1990年代前半と、デフレから既に脱却した2016年以降は、賃金・雇用の増加によって労働分配率は上昇しているが、後者は(前者と比較し)賃金の寄与度より雇用の寄与度が大きい点が特徴であり、加えて実質GDPの寄与度(マイナス要因)は小さい。このことは、先に指摘した「生産要素間の代替効果による雇用の増加」との見方とも整合的であり、雇用の増加はあくまで「生産要素間の代替効果」であるため、実質GDPの伸びは小さく、労働生産性は抑制されたままとなる*2

雇用増加の背景

 足許、労働分配率上昇の主因となった雇用(就業者数)の増加はどのように生じたのか。人口減少下にある中、雇用の増加がいかにして生じたのか、その背景を探ることとする。

  t期の就業者数  E_tは、15歳以上人口  P_t、労働の意思と能力を持つ者の合計である労働力人口  F_t、完全失業者  U_tを用いて、以下のように表される。

 
\begin{align*}
E_t &= F_t - U_t \\
    &= P_t \cdot \frac{F_t}{P_t} \cdot (1 - \frac{U_t}{F_t}) \\
    &= P_t \cdot f_t \cdot (1 - u_t)
\end{align*}

  f_tは15歳以上人口に占める労働力人口の比率、すなわち労働力率であり、  u_t労働力人口に占める完全失業者の比率、すなわち完全失業率である。上式をもとに、労働分配率について行なったのと同様の考え方で、就業者数の前年比(近似値としての対数階差)に対する人口、労働力率、(1-完全失業率)の寄与度を分析した。

 就業者数は2012年を底に増加を続けるが、人口減少下にある中、就業者数増加の主たる要因となっているのが労働力率の上昇である。労働力率は、デフレ期はマイナス傾向が続き、就業意欲の喪失が継続的に続いたことがうかがえる一方、デフレからの脱却後は、大幅に上昇し就業意欲を高めている。なお、(1-完全失業率)の寄与度は、概ね景気循環に応じて変動している。

 労働力率の上昇は、性・年齢階級別にみれば、表面的な数値に現れるそれよりも大きなものであることが以下のように説明できる。就業者数の近年の底である2012年と足許2019年の性・年齢階級別の就業率は、つぎのようになる。

労働力率は、2012年から2019年まで3.0ポイント上昇している。人口は概ね1億1千万人であり、この間、労働力人口は約330万人増加したことになる。この労働力率の上昇分について、性・年齢階級別のインデックスを i、性・年齢階級別の人口構成比を p_t^i (= \frac{P_t^i}{P_t})として以下のように表すことができる。


\begin{align*}
f_t - f_{t-1} &= \sum_i p_{t-1}^i \cdot (f_t^i - f_{t-1}^i) \\
              &+ \sum_i (f_{t-1}^i - f_{t-1}) \cdot (p_t^i - p_{t-1}^i) \\
              &+ \sum_i (f_t^i - f_{t-1}^i) \cdot (p_t^i - p_{t-1}^i)
\end{align*}

右辺第1項は、(純粋に)性・年齢階級別の労働力率が上昇したことによる要因である。この他、例えば若年層や高齢者層など、そもそも労働力率の構成比が低い属性の人口構成比が上昇(低下)すれば、労働力率は低下(上昇)する。この人口構成比の変化による寄与度を示すのが右辺第2項である。右辺第4項は交差項による要因である。

 結果はつぎのようになる。

人口構成比の寄与度は2.4ポイントのマイナスで、性・年齢階級別労働力率の寄与度は5.6ポイントのプラスである。すなわち、労働力率は3.0ポイント上昇したが、労働力率の低い65歳以上層などの人口構成が高まったことで、労働力率は引下げ圧力を受けており、実際には5.6ポイント程度の上昇であったと考えられる。

 なお、性・年齢階級別にみた場合、労働力率の上昇に最も貢献したのは高齢者と女性であったことが寄与度からわかる。この間、企業の労働需要に応じて雇用が増えても賃金は抑制されたが、その背景には、高齢者と女性の就業意欲が高まり、これらの層からの労働供給が促進されたことで労働市場はタイト化しなかったためであると考えられる。

まとめ

 前エントリーでは、賃金(一人当たり名目雇用者報酬)の伸びに力強さが欠けた背景について考察したが、まとめると、

  • 貨幣的な側面からみれば、物価と賃金が共に抑制されており、経済主体の期待に働きかける金融政策の効果は、期待どおりの成果を上げることができなかったといえる。特に、「官製春闘」とよばれたこの間の賃上げにあって、「2%のベースアップ」という目標達成は実現に程遠いものであった*3
  • 実物的な側面からみれば、雇用は増加したが、労働生産性は増加しておらず、賃金の抑制にサポートされた「生産要素間の代替効果」による労働需要であった可能性がある。
  • また、その背景には高齢者や女性の就業意欲が高まったため労働供給が増え、労働市場はタイト化しなかったことがあり、よって賃金は抑制され、企業の生産性向上意欲を引下げた可能性がある。

ということになる。

 なお、高齢者の労働力率の高まりに関しては、「2013年度より施行された、65歳までの雇用機会の確保を義務化する高齢者雇用安定法の影響が大きかった」との指摘もある*4。この場合、企業の労働需要はもともと大きなものではなく、制度への対応という消極的な理由で高齢者の雇用を増やし、結果的に労働生産性をも抑制させたことになる。

 また、この間、短時間労働者の構成比が高まり平均労働時間数が減少したため、時間当たりの賃金は(就業者一人当たりの賃金よりも)伸びが大きくなる。すなわち労働の「稼働率」を加味すれば、賃金の抑制傾向は緩和され、むしろ増減率はしだいに大きくなる。ただし、2019年の総実労働時間数の減少幅は異様に大きく、判断にはやや留保を要する*5

いずれにしても、労働分配率の上昇に依存することなく、労働生産性が高まることで賃金も高まるという好循環が望むべき姿である。生産性を高めるインセンティブを企業に付与する上では、労働市場のタイト化は必須といえる。また、労働生産性が高まり市場がタイト化すれば、賃金増加にもドライブが掛かる。そうした姿を実現するまで、現下の情勢はまだ道半ばである。

*1:実際の計算では、両辺にそれぞれ100を乗じ、パーセント表記の近似値としてみる。

*2:ただし(就業者一人当たりではなく)労働時間当たりの賃金とした場合、1990年代前半期ほどではないものの、賃金の寄与度は就業者数 \times労働時間を意味する労働投入量の寄与度よりも大きくなる。

*3:春闘賃上げ率」として一般に知られている数値にはベースアップ分のほか定期昇給分を含むが、後者については、仮に賃金等級別労働者構成に変化がなければ、平均賃金を引上げる効果を持たない(当該率が前年よりも低ければ逆にマイナスに作用)。

*4:https://genda-radio.com/page/5

*5:労働時間に限らず、2019年の『毎月勤労統計』の結果には、サンプルの入れ替えによると思われる変動がみられる。

グレン・グリーンウォルド(田口俊樹、濱野大道、武藤陽生訳)『暴露 スノーデンが私に託したファイル』

暴露:スノーデンが私に託したファイル

暴露:スノーデンが私に託したファイル

 事件や出来事の内幕に関するノンフィクション作品として、これまで、つぎのような書籍を取り上げてきた。

traindusoir.hatenablog.jp

  • 佐々木実『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』

traindusoir.hatenablog.jp

  • 牧久『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』

traindusoir.hatenablog.jp

 本書は、「公安国家アメリカ」に対する内部告発、いわゆる「スノーデン事件」をめぐるノンフィクション作品である。告発された対象という意味において、あるいは事件の社会性という意味においても、これまで取り上げた作品よりひと回り大きい。類書と比較しつつ、その主たる問題意識と特徴を個人的に整理するならば、①権力に対峙する大手マスメディアの姿勢、②暴露された文書の内容、後日談、③監視社会の害悪、といった項目になる。

大手マスメディアの姿勢

 本書はスノーデン事件を題材としつつも、かなりの分量を持って大手マスメディアや政治ジャーナリストに対する批判を行う。

 スノーデン文書による最初の記事「国家安全保障局NSA)が〈ベライゾン〉加入者の通信記録を収集」がガーディアンに掲載された後、反響は大きく、ホワイトハウスが行なった監視擁護のコメントに賛同する者は皆無に近かった。しかしその後、政治メディアはスノーデン及び著者に対し敵対的となり、ジャーナリストである著者を敢えて「ブロガー」と呼び、政府の秘密を発表したことを以て逮捕されるべき、との論調までもが作られる。
 こうした大手マスメディアの姿勢の背景について、一つには、国家の安全保障に関わる問題については常に権力の忠実な代弁者になる、という政府寄りメディアの人間が持つメンタリティがあり、また、メディアのスター記者たちは「複合企業体の雇われの身」となっていること、さらには、社会経済的要因があるとして、著者はつぎのように指摘する。

(中略)今日、アメリカで影響力を持つジャーナリストの多くが億万長者で”お目付役”という名目で政治家や財界のエリートらと同じ地域に住み、同じ仕事に出席し、同じサークルの仲間とつきあっている。そればかりか、彼らの子供たちはみな同じ私立のエリート校にかよっている。
 だから、ジャーナリストと政府職員は容易に職を交換できるようになっている。メディアの人間がワシントンの高位職に送り出される一方、政府の役人はメディアとの契約に走り、濡れ手に粟を狙っている。

 大手マスメディアは内部告発者に対するレッテル貼りの一翼を担うことにもなり、通常、「彼は”不誠実”で”うぶ”だった」というような常套句が用いられる。スノーデン事件においても「メディアの多くが愚かでレヴェルの低い”IT青年”像に彼をあてはめようとした」とのことであり、オバマ大統領も記者会見で「29歳のハッカーを捕まえるためにジェット機を緊急発進させたりはしない」と語ったことが伝えられている*1。著者のグリーンウォルドに対しても、孤独を好み友人関係を築くのに問題がある、あるいは社会不適応者、といったレッテル貼りを行なったという。
 こうした戦略は本件に限らず一般的に用いられるやり口で、読者の「自分の信じたいことを信じる」傾向を有効に活かし、陰に陽に、見る者に対する印象操作を行う。一時的にしろマスコミの寵児となる者への根拠のない不信感、あるいは自分でも気づくことのない隠れた嫉妬心等が、見る者の心の目を曇らせるのだと考えられる。

暴露された文書の内容と後日談

 本書には、実際に暴露された文書の一部が紹介されている。ベライゾン社に対する通話記録(メタデータ)の提出命令の場合もそうであるが、著者によれば、NSAの大量収集プログラムが目指すのは、世界中の電子通信プライヴァシーを完全に取り除き、電子通信の全てを収集・保管・監視・分析できるようにすることだという。このことは、スノーデンが理想とするインターネット空間のプライヴァシーの保護、それによって保証される自由な情報の交換とは相反する。そのNSAを長官として指揮したのが陸軍大将キース・B・アレキサンダーであり、オバマ政権も(当初の公約に反し)NSAの取り組みを積極的に支援し、国家安全保障問題担当補佐官は、幾度となくNSAにスパイ行為を要請したという。
 GAFA等の大手IT企業が協力したPRISMによる情報収集は、これまでも広く報道されている。加えて、対象ユーザーのパソコンに直接マルウェアを侵入させ監視下に置く、という手法も取られたことが暴露された文書の中で指摘されている。現在、「米中対立」といわれる中、ファーウェイ社の製品に「バックドアが仕込まれている」といった報道が積極的に行われるが、要するに、こうした行為はファーウェイ社や中国政府に限らず、むしろ一般的で、そうした行為が行われていることを前提に我々はインターネットと向き合わねばならない、ということである。
 なお、NSAの国際的な協力関係という意味では、日本は「限定的協力国」と位置付けられており、日本政府がいかにアメリカ政府と対峙したのかに関し、著者のサイトで新たな記事が公開されている*2。また、NSA保有するシステムであるXKeyscoreは、eメール、閲覧履歴、検索履歴、チャットのデータを収集・管理・検索するためのもので、NSAの分析官は誰でも検索可能であり、同記事では、日本の諜報信号本部に同システム一式を提供したとされている。

 さらには後日談として、リオに住む著者のパートナー(ディヴィッド)のPCが、著者とスカイプで通話した後、48時間以内に盗難にあったこと、イギリス政府通信本部GCHQ)がガーディアンに対し文書一式のコピーを引き渡すよう要求し、それに応じないと、GCHQ立ち合いの下でハードディスクドライブを破壊することになったこと、著者のパートナーに対するヒースロー空港での根拠のない拘束等が語られている。
 特に、最後の拘束の件は権力の濫用であり、ブラジルでも大きく報道されたとのことであるが、告発者に協力する者への無言の圧力であろうとのことである。さらに以下のようなことまでが書かれている。

 デイヴィッドは、アメリカとイギリスがテロとの戦いという名目を隠れ蓑にして、過去10年のあいだに何をしてきたのか、ずっと考えていた。「彼らは人々を連行し、罪状もなしに、弁護士もつけずに投獄し、グアンタナモの収容キャンプ送りにして、世間の眼が届かないところで処刑している。アメリカとイギリスの政府から”おまえはテロリストだ”と告げられるほど恐ろしいこともない」。これはほとんどのアメリカ人とイギリス人が夢にも思わないことだろう。

監視社会

 本書は、スノーデン事件の実際と暴露された文書の内容を書くと同時に、監視社会がもたらす問題について、オーウェルの『1984年』、ベンサムの「パノプティコン」、フーコーの『権力』、『監獄の誕生』などを引き合いに出しつつ丁寧に論じる。
 ベンサムの生み出した概念である「パノプティコン」は、監視対象となる人間に、常に自分が監視されているように感じさせ、服従、盲従、予定調和を生み出すことを目的とする。自由の制限を受けつつも、功利主義的な政府によって管理される安心・安全な社会といえる。またフーコーによれば、「ユビキタス監視は監視機関に権力を付与し、人々に服従を強制するだけでなく、個人の内に監視人を生み出す効果がある」、すなわち人々は無意識に「内なる管理者」を胸中に持ち、監視人が望むとおりの行動を取るよう管理される。
 加えて本書では、進化心理学に基づく実験による実証結果も複数紹介され、監視の持つ萎縮効果が現実に存在し得ることを、説得力ある形で説明されている。なお個人的に興味を持ったのは、行動経済学の知見を基に「ナッジ」の効果を提唱したキャス・サンスティーンが、「”どこにも属していない”と偽った協力者とスパイから成るチームを組織し、オンラインのグループやチャットルーム、SNS、ウェブサイト、オフラインの活動家グループに潜入するという手法を政府に提唱」したとのくだりである。「ナッジ」の概念自体、緩い形での功利主義的政策運用を可能にするものであり、サンスティーンがそのような提唱を行うこと自体、不思議なことではない。「ナッジ」を含む行動経済学的知見を踏まえた政策研究は、いまでは日本を含め世界的なムーヴメントである*3
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 一方、スノーデンの理想はこれとは正反対であり、インターネット、あるいは敢えて敷衍して考えれば、社会全体におけるプライヴァシーの確保と自由、ということになろう。この対立軸は数百年続くもので、このような大きな対立軸がスノーデン事件という一つのポイントに集約され、議論を呼ぶことになったともいえる。
 スノーデンが最も恐れたのは、「暴露が無関心と無感情に迎えられるのではないか」ということであったとのことだが、このような大きな対立軸を中心に据えてみれば、当初から、そうした恐れはなかったのかも知れない。実際、報道に対する反響は凄まじく、政府の中からも、議員が団結してNSAの計画への予算取り消しを求める法案を提出するような動きも現れた。9.11以来の行き過ぎた安全保障政策への安易な盲従が、この事件をきっかけに反転したのだとすれば、危険を賭した行為にも十分に大きなな価値があったといえるだろう。

*1:https://www.cnn.co.jp/usa/35033993.html

*2:https://cruel.org/books/arthurking/japan-intercept.html

*3:以前にも書いたことだが、情報テクノロジーをより身近なものとして感じている世代の技術者や企業家には、功利主義的で強権的な統治の仕組みに、あまり抵抗感を感じない者が多いように思われる。いまの時代、「新自由主義」といった言葉は、むしろ古臭さを感じさせるもので、不機嫌な中高年世代が唱えるマントラのようでもある。